■第55号(2017.4発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

災害復興と板倉の家
─山・人・社会を結び直す木造建築

筑波大学名誉教授 里山建築研究所主宰 安藤 邦廣(談)


1.スギの木でできた仮設住宅。
2.プレハブからの転換点。
3.暮らすこと、建てることを力に。
4.日本のスギと技術による新しい木造住宅。
5.材料の供給体制は、まず徳島で。
6.熊本では、板倉の「小屋」を。
7.循環のなかにある建築。
8.未来に向けた課題と希望。



日本の伝統的な木造建築「板倉」を現代に復活させた「板倉の家」。その構法を完成した第一人者である安藤邦廣氏は、2011年の東日本大震災で、応急仮設住宅を建てることにも奔走しました。木の家が、最も困難な局面でできたことは何だったのか。地域の環境や気候風土、人とのつながりまでを含めた役割と意味を見つめ直します。

■1.スギの木でできた仮設住宅。
2011年8月。お盆を前にして、福島県いわき市に162戸の「板倉の家」による仮設住宅が完成しました。地元を中心とした100名以上の大工さんや関係企業の方々が力を結集し、東日本大震災で避難を余儀なくされた方たちに、無垢の木でできた住まいを提供することができました(少し遅れて、会津若松市にも36戸が完成しました)。
板倉の家は、日本古来の木造建築「板倉」を現代に復活させた住まいです。正倉院などで有名な「校倉」がログハウスのように横方向の木を組み合わせてつくられるのに対し、板倉は柱を建て、その間に横板を「落とし込む」ことで壁を形成します。名前の通り穀倉に起源を持ち、古くは伊勢神宮などの神社、さらには貴族住宅や民家などに広く用いられた木造建築でした。
その構造を基本に、現代の法規制や暮らし方に照らして規格化したのが、板倉の家をつくる「板倉構法」です。国産のスギからつくった四寸角(120ミリ角)の柱と一寸(30ミリ)の厚板によるシンプルな構造で、堅牢で耐久性が高く、地震に対しても粘り強い。木を太く厚く使うことで十分な防火性能も備えています。構造材が外にあらわれているので夏に多湿になる日本の気候に適しており、増改築も容易です。いわき市のこの仮設住宅も、基礎が仮(木杭)であることを除けば、恒久住宅としての優れたクオリティを備えた住まいです。

■2.プレハブからの転換点。
実は、仮設住宅を木造でつくることができたのは画期的なことでした。国とプレハブ建築協会との間には協定があり、日本の仮設住宅はすべてプレハブと決められていたからです。
けれど、それが最良の選択ではないことは明らかでした。夏は暑く冬は寒く、それを逃れるにはエアコンに頼るしかありません。隣家の音が気にならないよう厚く防音対策をし、工業製品でできた無機質な空間に囲い込むような環境。その中で、孤独死が大きな問題になっています。しかも、使用が終わればほとんどすべての材料が大量の廃棄物になってしまいます。
一方、板倉の家は、無垢の木に包まれた心地よい環境をつくることができます。大工さんの技術が必要ですから地域に仕事が生まれます。解体・再利用が容易なため恒久住宅への転用ができ、廃棄物が少ないという特徴もあります(木材の再利用率は約90%にのぼります)。材料さえあれば比較的短期間で建築可能です。これまでにも提案を繰り返し、自治体の担当の人たちも木造仮設のよさは十分にわかっていながら、この協定があるために実現に至りませんでした。
2011年、あの震災が起きたとき、建築に携わるものとしてこれに取り組まないわけにはいかないと直感しました。ここからの復興が、地域社会を、日本全体を、大きく左右するのだと感じたのです。災害にどれだけ対応できるか、人々を救えるかによって、その後の技術は決まる──私が尊敬する大工の棟梁の言葉が、まさに現実になるのだと思いました。
被災者の数は多く、特に原発事故が起きたことで避難生活は長期化することが予想されました。プレハブ仮設でも、半年、1年ならなんとか我慢できるでしょう。でもそれが3年になり5年になったらどうでしょうか。私は、なんとしても板倉で仮設住宅をつくるのだと心を決め、板や柱の調達の確認、建築に携わってくれる大工さんの確保、仮設住宅の基準に即した基本設計などを並行して行いながら、提案書をつくって行政や関係者に働きかけました。
今回も、協定の壁があることは同じでした。けれど、被害はあまりに大きく、プレハブ仮設だけでは供給が間に合わないことが判明します。発災1ヶ月後の4月11日に、福島県、岩手県を中心に地元の工務店や施工事業者などへの公募が行われ、プレハブ以外の──木造の仮設住宅が初めて実現したのです。板倉の家のほかにも、軸組在来構法、ログハウスなどの構法で、多彩な木造の家が建てられました。

■3.暮らすこと、建てることを力に。
設計にあたって、大切にしたことがいくつかあります。
まず、勾配屋根をかけて軒を深く差し出し、その軒下に玄関ポーチ、縁側、物干しといった部屋の延長となる空間をつくったこと。これは日本家屋の基本的な構造ですが、住まいをより広く使うことができるばかりでなく、屋内に招き入れずとも人に応対でき、交流の場にもなる。家に閉じこもって孤立することを防ぐことにつながります。
また、勾配屋根の屋根裏空間を活かしてロフトをつくりました。狭い仮設住宅ではどこも、家財道具で足の踏み場がなくなってしまいます。ロフトがあれば、それらを生活空間とは別の場所に収納することができる。家の中が片付くことは、落ち着いた暮らしにとってとても重要です。
木を太く、厚く使う板倉の家は、木が本来もっている断熱性や保温性が十分に発揮されます。木の調湿性は冬の過乾燥や夏の多湿も抑えることができる。開口部を大きくとり、室内に仕切りを設けないことで、夏は南北に十分な風が通ります。後に行った調査では、夏にエアコンを使わなかったという家族が多数を占めました。
やがて、縁側のそばにはプランターが置かれ、花や野菜が植えられて通りを彩るようになりました。現地に通う中で聞いた、「この家に暮らすことでほっとできた」「自分の家に帰ってきたみたい」という言葉が、板倉の家の良さを物語っていると思います。
建築に携わった大工さんたちも、本当によく仕事をしてくれました。3ヶ月という短期間で約200戸を建てる過酷な現場でしたが、この災害を乗り越えるために、皆で協力する姿勢がすばらしかった。自分も被災者だという大工さんも大勢いました。でも、だからこそ、そこに自分の仕事があること、それが復興への力になっていることが、彼ら自身の力にもなったのだと思います。
これを契機に、仮設住宅の発注体制にも変化がありました。国は、各県の大工さんの組合である全建連(全国中小建築工事業団体連合会)とも協定を結び、プレハブ・木造両方への発注が可能になったのです。

■4.日本のスギと技術による新しい木造住宅。
私が板倉構法に取り組み始めたのは、30年以上も前のことでした。
当時、工業化された住宅はすでに普及しており、木造住宅への需要も根強いものがありました。しかし、人気を博していたのは、熟練した技術を必要としないツーバイフォーやログハウスといった輸入木造住宅。大工さんの技術継承が危ぶまれました。
一方で、日本の山にある最も豊富な資源──戦後、大量に植えられたスギの蓄積を使うことも大きな課題でした。スギが使われないことによる林業の疲弊と山林の荒廃は社会問題でもあったからです。ただ、柱や梁、板がとれるスギは育つのに50年以上かかります。その頃の工業化住宅の寿命は25年から30年でしたが、それでは木の循環が間に合いません。
山にあるスギを使うこと、大工さんが建築する家であること、木材の循環を可能にするような耐久性のある家であること──それらを満たす木造構法を考えたとき、大きな可能性を感じたのが板倉でした。
そこで、板倉の基本構造をベースに現代の法規制や暮らし方に適合する新たな規格の研究開発に取りかかりました。価格的にも量的にも、日本の山から最も安定して産出するのがスギの四寸角の柱。それに、材料の歩留まりがよく低いコストが見込めるスギの一寸厚の板を組み合わせます。壁は、柱の間に壁板を落とし込む「落とし込み板構法」。柱や梁の組み上げには継手・仕口という大工さんの技術を用いながらも、複雑すぎない構造としました。壁、屋根、床のすべてで厚板を二重(または三重)にし、断熱性や保温性、調湿性を高めて安定した室内環境をつくります。室内側の板がそのまま仕上げ材になるため、木の心地よさを存分に感じられる骨太の空間が生まれることも特徴です。
構法とコスト面の検証のために、最初に建てたのは親の家。その結果、ハウスメーカーと同等の坪単価で、人工的な建材を一切使わずに建物本体の建築ができることが確認できました。使う木材の量は約3倍。大工さんの手による木工事の割合は45%にもなります。製材所や山の収入につながり、地元の大工さんの仕事も増やせる。そして何より住んで心地よい。新しい木造工法「板倉構法」の誕生でした。

■5.材料の供給体制は、まず徳島で。
板倉の家によって資源が循環し、山にも製材所にも大工さんにも仕事が生まれるためには広く普及する必要があります。そのため、定期的に講習会を開いて全国の工務店や建築事業者にこの技術を伝えてきました。また、関係機関の協力を得て、耐震性能と防火構造の国土交通大臣認定も取得しました。
しかし何より欠かせないのは、材料の安定供給です。特に、壁、床、屋根などに使う一寸厚の板は、板倉専用に製材し、含水率15%以下に乾燥することが必要です。しかも変色や割れを防ぐためには天然乾燥が基本。全国の製材所に打診しましたが、最初は板1枚が3000円、納期も半年かかると言われました。板倉構法は木材の割合が高いため、それでは木材の値段だけで1000万円にもなってしまう。庶民の家としては現実的ではありません。
最終的に手を挙げてくれたのが徳島県の那賀川すぎ共販協同組合でした。足場板の全国的シェアを持つ事業者でしたが、時代の変化を見越して事業の転換を模索しておられたのです。製材方法、乾燥方法などを独自に研究され、3年ほどで本格的な量産体制を確立、10万枚単位のストック体制が実現しました。

■6.熊本では、板倉の「小屋」を。
2016年4月、今度は熊本で大きな地震災害がありました。仮設住宅については、前述した協定の見直しもあり、地元の事業者が木造で建てることがかないました。
一方、板倉の家は、西原村の商工会議所や九州大学の研究室と協力して「ちいさいおうちプロジェクト」を進めています。半壊や一部損壊にとどまった自宅の庭に、6畳から8畳程度の板倉の「小屋」を建てるというものです。
自宅が使える人たちは、できれば避難所ではなく住み慣れた場所にいたいし、自宅の片付けもしたい。でも夜は不安です。だから、眠るときだけ避難できる、あるいは子どもやお年寄り、大切な家財を避難させておける場所を庭先につくろうという試みでした。板倉の小屋には材料をプレカットしたキットがあり、それを使えば2日間で小屋が完成します。
母屋と別にこうした「小屋」を持つことは、かつては普通に行われていました。山仕事の小屋、農作業小屋、釣り小屋など、普段は仕事の道具を置いたり遊び場として使い、いざというときには避難場所にしていたのです。ロシアのダーチャ、ドイツのラウベのように、そうした文化は各地にあります。残念なことに自然災害は防ぎようがないし、殊に日本に暮らすかぎり無縁ではいられません。小屋を持つことは、大事な命と財産を一時的にでも避難させられる安全な場所を確保するということ。日常を豊かに暮らしながら災害に備える、暮らしの知恵でもあるのだと思います。

■7.循環のなかにある建築。
住まいは──特に木造住宅は──本来、地域ごとの気候風土、地域社会のありようと分かちがたく結びついています。地域の山に木を植え育て、手入れをし、それを利用して家を建て暮らしていく。その山は生命を育む場所であり、日本の風景を形づくるものでもある──自然も、人も、社会も、そして建築も、その大きな循環の中で互いに影響を与え合いながら存在しているはずです。そうした循環の中にある建築を「里山建築」と名付け、12年前に立ち上げた研究所の名前として掲げました。板倉の家もまた、里山建築のひとつです。
東日本大震災では、工業立国としての発展の象徴ともいうべき原発が事故を起こし、ただでさえ甚大な被害をより深刻なものにしました。そこからの復興を考えるとき、東北地方が有する豊かな森林資源を利用すること、すなわち自然の循環に立ち返って関係を結び直すことは、必然なのだという気がします。板倉の仮設住宅は、その始まりでもあるのです。

■8.未来に向けた課題と希望。
現在のところ、板倉の家の最大の課題は、材料の供給体制の整備です。
前述の那賀川すぎ共販協同組合にはある程度のストックがあり、福島の仮設住宅建築の際には全面的に協力いただきました。さらに熊本でも、九州全体に材料を供給できる体制づくりが始まっています。しかし、災害がいつどこで起きるかわからないことを考えれば、さらなる拠点整備が必要でしょう。通常の受注に応じて流通させながらも、常に仮設住宅用のまとまった量をストックする必要がありますが、企業にとって多くの在庫を持つことは経営上のリスクとなります。災害対策という観点から、行政の支援を仰ぎたいところです。たとえば林野庁は、災害対策は業務の範疇ではないと考えているようですが、国土保全という意味でも、山にある木を使うという意味でも、決して無関係ではないでしょう。大きな視野でとらえる必要があると思っています。
一方で、未来につながる変化もありました。
福島県の仮設住宅のうち会津若松市の36戸が、仮だった基礎をつくりなおし、2016年秋に20戸の恒久住宅に生まれ変わったのです。2戸を1戸にしたり、窓を広げるなどの変更があったため再利用率は80%にとどまりましたが、それでも多くの木材が再利用され、新たな住まいになりました。この仮設で暮らしていた方が希望され、同じ場所に戻って暮らし始めておられます。仮設住宅が、復興を支える恒久住宅になったのです。
災害に直面したときに板倉の家ができたことは、災害が起こるかもしれないこれからの日常に大きな示唆を与えてくれました。そこに見えた未来をよりよいものにできるよう、板倉の家をとおして提案を続けていきたいと思っています。


[安藤 邦廣]
1948年宮城県生まれ。工学博士。建築家。九州芸術工科大学芸術工学部卒業。東京大学工学部建築学科助手、筑波大学教授を経て、現職。NPO木の建築フォラム理事長。東日本大震災での活動を機に(社)日本板倉建築協会を設立、代表理事に。
『現代木造住宅論─板倉の住まい』(INAX出版)『住まいを四寸角で考える』(学芸出版社)『民家造』(学芸出版社)『小屋と倉』(建築資料研究社)『木造仮設住宅群』(ポット出版、共著)など著書多数。