■第54号(2016.10発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

フリースタイル林業 〈後編〉─人材育成と日本林業─

愛媛大学客員教授 村尾 行一(談)


1.森の仕事は、憧れの仕事。
2.医師になる以上の難関。
3.林業人としての哲学。
4.「ボタンの掛け違い」の連鎖。
5.森林・林業に対する認識を変える。
6.市場ニーズと「東濃檜」の盛衰。
7.求められている価値を提供すること。



施業を型にはめないことで、森林の機能を最大限に発揮させながら、市場の動向に応じて必要とされる材を産出し、森を活かしきるフリースタイル林業。その成立に欠かせないのが「人材」です。林業先進国であるドイツでは、どのようにして人材育成を行っているのか、その仕組みを概観しながら、日本林業の可能性を探ります。

■1.森の仕事は、憧れの仕事。
森林にかかわる仕事に就くことは、ドイツの人々にとって憧れです。日々親しんでいる森林を仕事場にするということも理由のひとつですが、それ以上に、林業を営むことへの尊敬の気持ちが人々の心の中にあるからです。散策して心地よく、美しい風景を形づくり、災害を防止し、豊かな産物を生み出す──そのような森林を育て維持することが、どれほど重要で高い技術を要するものなのか、人々が知っているからです。
前編で述べたように、ドイツで生まれ、ヨーロッパでスタンダードになりつつあるのは「フリースタイル林業」です。フリースタイル林業では、林業生産に目的を設定することなく、伐期も定めません。木材をはじめとする森林生態系の産物を、その時々の市場ニーズに最適なかたちで生産しつつ、森林生態系を総体として活用する林業です。
森林生態系は変化します。それに対する人間のニーズも同じく変化します。森林生態系を総体として活用するためには、両者の変化を的確に見極め、多様で多相な生産を柔軟に行うことができる高度な技術と知識を持った人材が必要です。いきおい、林業人になるまでには大変厳しい道のりをクリアすることが求められるのです。

■2.医師になる以上の難関。
その道のりがどれほど厳しいのか、林業人教育が最も発達しているバイエルン州の場合を例にとって見てみましょう。バイエルン州では林業人の職階が9つに分かれており、どの教育課程を経たかで、就くことができる職階も決まっています。
最上位の「高等林業人(Forstdienst W)」になるための過程はこうです。
日本の小学校にあたる4年間の「基礎学校」を卒業すると、9年間のギムナージウム(大学進学校)に進学します(そのためにはもちろん、基礎学校での優秀な成績が必要です)。ギムナージウムではギリシャ語やラテン語などの古典学、複数の外国語、数学、物理学、化学、生物学、歴史、地理、哲学、論理学、民俗学、社会学、経済学、政治学など、非常に幅広い科目を履修することが求められます。
大学に進学するには、アビトゥーアという大学進学資格試験に合格する必要があります。合格すると、一般的には希望する大学・学部に入学できます。しかし難関校には自由には入学できず、アビトゥーアの点数による「足切り」があり、中でも「足切り」最低点の高いのが最難関の医学部と林学部です(さらに言えば、医学部には点数が高ければ入学できますが、林学部に入学するためにはアビトゥーア合格後まず政府が指定した国有林営林署での実習をクリアしなければなりませんから、より難しいと言えるでしょう)。
大学入学後には「広く深い」学びの世界が待っています。ドイツの大学は複数専攻制で、しかも第二専攻は第一専攻とできるだけ離れた分野を選ぶことが条件であるため(林学と神学、林学と哲学、というように)、必然的に幅広い知識と教養を身につけることになります。
大学の卒業試験に合格すると、今度は国有林営林署で3年間の実習を積み、署長の適任証をもらうことで「大林学国家試験」の受験資格が得られます。医師国家試験・司法試験と並ぶ、この超難関の試験に合格して、ようやく高等林業人の有資格者になることができます。さらに国有林や大市有林で働くためには、難しい入庁試験に合格した上で、営林局・署で森林官補として勤務し、そこで上司から適任であるとの評定を得ることが必要です。この時点で20代の後半になっていることも珍しくありません。

■3.林業人としての哲学。
林業人になるまでに多大な努力と高い能力を必要とするのは、他の職階でも同様です。たとえば9つの職階のうち7番目の「林業士(Forstwirt)」は日本の林業作業員にあたる職階ですが、基礎学校卒業後に6年制の林業系実業学校に進学し、さらに3年制の森林労働学校に進んだ後、国家試験に合格することが求められます。実技を基礎から習得しつつ、森林・林業関係の分野はいうまでもなく経済学や法律、社会学などを幅広く学ぶのです。森林・林業関係のカリキュラムだけをとっても、今の日本の林学系の大学のそれよりレベルが高いというのが正直な印象です。
そうした仕組みを支えているのは、ドイツにおける職業観です。どんな分野であれ、プロとして働くには職種にふさわしい高度な公教育が必要である、という共通認識が確立しているのです。だから実業学校は普通学校より難関です。
中でも林学は、いわゆる文系・理系に分けられない総合科学であり、林業人は技術・技能習得の上に、自然科学も社会科学も人文科学も広く深く学んで高度な知識を身につけなければなれない、ということが常識になっています。どういう森林をつくるべきかを考えるには自然科学の知識が必要です。一方で、どういう林産物を産出すれば社会的なニーズに適合するのかを判断するためには、人間社会への理解が必要です。森林をつくることは地域社会や環境を──ひいては人々の生命財産をも──左右するわけですから、これまでの歴史にも深く学ぶ必要があります。人間がこれまで行ってきたこととその結果を、失敗も含めて知ること──それはすなわち「人間はいかに将来を見通す力がなかったか、予見性に欠けていたか」ということに気づくことでもありますが──それによって、未来を軽々しく予断せず、自然ならびに社会と謙虚に向き合うことの重要性を深く理解することができるからです。そうして積み重ねた広く深い学びは、林業人としての確固たる哲学となり、ドイツの森林・林業の骨格となるのです。

■4.「ボタンの掛け違い」の連鎖。
このように、高度な教育制度のもとで人材を育成しているドイツの状況は、日本とは根本から違いがあります。もちろん日本にも、ドイツをはじめとするヨーロッパの先進的な林業を取り入れようとする動きは昔からあって、多くの役人や学者が留学し、あるいは現地から人を招いて学ぼうとしてきました。しかし、残念なことに、あまり成功しているとはいえません。
明治時代、ドイツではすでに、ミュンヘン大学を中心に現代のフリースタイル林業につながる新しい林学が生まれていました。ところが、日本の研究者たちが学びに行ったのはミュンヘンではなく、なぜか、すでに時代遅れになりつつあったターラント森林アカデミーの林学でした。ターラントから、計画至上主義の単純一斉林・大面積人工造林を行う林業を導入してしまったことは、後の日本林業の方向性を大きく誤導する「最初のボタンの掛け違い」だったといえます。
しかし、かつてより質の悪いドイツ林学・林業誤輸入は、近年の民主党政権「日本森林・林業再生プラン」以降に起こっています。典型的な例が「将来木(Zukunftsbaum)施業」です。
「将来木施業」は、ドイツの「先進的な」林業として取り入れられ、来日したドイツ語圏林業人によっても日本各地で紹介されました。もとになった「Zukunftsbaum」は、直訳すればたしかに「将来(Zukunft)の木(Baum)」です。しかし、その意味は「将来に伐採する木」すなわち最後まで伐らずに残す主伐木のことです。つまりそれは、間伐をしながら主伐木を育てる、日本でも行われている平凡な施業にすぎず、フリースタイル林業が主流になっているドイツではすでに時代遅れの施業でした(そもそも、ドイツにおける英語訳は「crop tree=収穫木」であり、日本で英訳された「futuretree」では決してありません。この直訳的誤訳ひとつをとっても、いかに誤って内容を理解していたかがわかると思います)。
時代遅れの林業技術を斬新な施業技術であるかのように、しかも内容を誤って導入した、その原因として、学びにいった場所も、学んできたことも、ドイツから招聘した人も、すべてが不適切だったことがあると思います。日本が学んだ先は林業先進地域のバイエルン州ではなく、それよりやや遅れる地域でした。しかも総合大学の林学部ではなく、ひとつレベルの低い専門大学校の林学部にすぎません。明治時代に学んだターラント森林アカデミーはまだしも最高学府でしたし、ターラント林学は当時としては有力な学説でした。近年の質の低下が見て取れると思います。

■5.森林・林業に対する認識を変える。
では、日本の林業はこれからどうなっていくべきなのでしょうか。
まずは、林業というものに対する社会的認識を変えることが必要です。変えるべきポイントはふたつ。ひとつは、単に伐って植えて、また伐るのが林業だという認識を改めることです。
林業は農業をモデルにした単なる「木材栽培業」ではありません。森林が持っている多様な機能を、ひとつの森林から同時に、いくつも発揮させる仕事です。木材をはじめとする多様な林産物生産、養蜂、農業、畜産などを行いながら、レクリエーションの場として活用し、災害防備や水源涵養、大気浄化、水質保全、風致造形などの機能も果たす。それが現代林業なのです。
だからこそ、高度な職業訓練を受けたプロにしかできない仕事だということを理解する必要があります。これがポイントのふたつめです。ドイツでは、森林を所有しているだけでは林業経営をすることはできません。森林所有者が林業人の資格を持っていない場合は、有資格者に経営を委託する必要があります。だれもが林業に従事できる日本とは大きく違います。
戦後日本の林業は、「広葉樹を伐ってスギやヒノキ、カラマツを植えれば、短期間で利益があがる」という錯覚にやすやすと流されてきました。こうしたことが起こるのも、森林や林業に対する高度な知識と経済学の素養、そしてゆるぎない哲学を欠いていることが大きな要因だったのです。

■6.市場ニーズと「東濃檜」の盛衰。
日本の林業に欠けていた、市場ニーズに対応する仕組みを構築することも大変重要です。このことは、日本林業にとって歴史的な課題だといえます。
終戦後から高度経済成長期にかけて、木材需要が国内供給力をオーバーする状況が続いたことを背景に、市場には粗悪な木材が横行していました。「木と名前がつけばなんでも売れる」とさえ言われた超売り手市場状態にあって、林業界は消費者に目を向けることなく、未乾燥や寸法不足の商品を、しかも高値で供給したのです。このことが、外材輸入を解禁させました。
1964年に木材輸入が全面自由化されると木材価格は沈静化し、やがて国産材は外材と競合するようになります。その時、日本の林業界はどうしたか。悪徳商法的な木材供給を反省し、市場が求める品質へと改善の努力をしたでしょうか。答えは否です。木材の品質を変えるのではなく、主な輸入材であった米ツガと競合しない製品づくり──樹種でいえばヒノキ、材種でいえば無節材へ逃げたのです。市場ニーズへの視点は育ちませんでした。
そんな中、新たな動きもありました。「東濃檜」です。1965年7月1日の首都圏市売市場に出品した材は、その商品性の高さが評価され、わずか1カ月の間に銘柄形成を成し遂げました。材をきちんと乾燥させ、表示どおりの寸法を守るという品質管理をしたことで、吉野材よりも高値で取り引きされるようになったのです。
ただ断っておきますが、東濃檜と名付けてはいるけれど、実際に東濃地方に生えているわけではありません。銘柄の基準は製材品としての良質・良心さです。それまで木材の銘柄は、尾鷲桧、吉野杉などというように「どこに生えているか」が根拠でした(私はこれを「立木銘柄」と名付けています)。それに対して東濃檜は製材の仕方によって、原木産地とは無関係にトップブランドになり得るのだということを実証しました。つまり「製材銘柄」なのです。このことが林業・林産業にとっていちばん大事なことです。
ただ、東濃檜の名声も長くは続きませんでした。
その頃、市場では、洋室中心へと住まいのニーズが変わりつつありました。縁側を巡らせた二間続きの和室や床の間といった伝統的な間取りが減少し、和室内側に見せるための美しさが価値となっていた役物の柱材へのニーズは激減しました。代わって市場が求めていたのは並材を用いた良質・良心的な無垢材や集成材だったのです。けれど、東濃檜は、役物から脱却しようとしませんでした。木材需要革命ともいうべきこの市場の動きに対応できなかったことで、銘柄として衰退してしまったのです。

■7.求められている価値を提供すること。
東濃檜の隆盛は短かったけれど、立木銘柄ではなく製材銘柄という新しい銘柄概念を提示した功績は大きいと思います。本来、和室より洋室の方が木材を多く使用しますから、もし市場ニーズに対応して良質・良心的な並材を提供していれば、その後の展開は全く違っていたでしょう。そこには、大きな可能性があったはずです。
考えてみれば、市場のニーズに対応した製品やサービスを提供することは産業としてあたり前のことです。それがなかなかできないところに、日本の林業の難点があると思います。
繰り返しになりますが、森林の中では木材などの林産物生産と同時に養蜂も農業も畜産もできる。観光業もできる。それらを組み合わせることで、林業は本来、非常に多様なコンテンツで運営することが可能です。第1次産業と加工業・流通業、メディアも加えて森林生態系を舞台にした6次産業化をはかれば、森林の満度利用になり、かつ市場に対するリサーチ力も情報発信力も格段に高まるはずです。
人々の認識を変えていくことは容易なことではないでしょう。人材の育成も一朝一夕にできることではありません。けれど、現代はSNSなどのメディアの発達で情報発信・交換の手法が格段に増えました。林業の現場からは、自然発生的な勉強会も各地で立ち上がっています。逆説的ですが、これまで決して手厚く保護されてはこなかった林業だからこそ、既得権益にしばられることもなく、制度の障壁も低い。そこには多くの可能性が残されていると思っています。


[村尾 行一]
1934年大連市生まれ。東京大学農学部林学科卒業、同大学院生物系研究科修士課程修了、同大学院農学系研究科博士課程修了。農学博士。国有林・林業経営研究所研究員、京都大学助手、東京大学助手、ミュンヘン大学林学部客員講師、愛媛大学教授などを歴任。国内外のフィールドワークに基づき、森林の現場に立脚した提言を続けている。
『東濃檜物語』(編著、都市文化社)、『山村のルネサンス』(都市文化社)、『間違いだらけの日本林業』(日本林業調査会)など著書多数。