■第46号(2012.10発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

国産スギ利用にさしこむ光

鹿児島大学 農学部 教授 遠藤 日雄(談)


1.日本のスギを使う時代へ。
2.外材に競り負けた時代。
3.「ウッドショック」を活かせず。
4.乾燥と集成材化への道。
5.「川下」から「川上」へ。
6.資源のグローバル化と世界市場。
7.「適正」価格にはまだ遠い。
8.真の国産材時代へ。



戦後の拡大造林によって日本全国に形成された人工林は、約1000万ha。その4割がスギ林です。まもなく主伐の時期を迎えるこのスギを賢く活用することは、林業・製材・加工業はもちろん、森林そのものを健全化することにつながるはずです。生産から流通までの構造を俯瞰しながら、よりよい活用の仕組みをさぐります。

■1.日本のスギを使う時代へ。
いま、日本の各地でスギが使われ始めています。木造軸組ハウスメーカーを中心に外材から国産材への切り替えが進み、ツーバイフォー住宅でも一部国産材化が始まりました。そうした需要の伸びを背景に、素材生産量(山から伐り出される材の量)も着実に増加し、2011年の生産量は964万9000m3、最少だった2002年の140%になっています。2007年には立木価格もわずかながら上昇に転じました。1990年以来、実に17年ぶりのことです。
その原動力となっているのが製材業界です。林野庁が2006年から5年計画で実施してきた「新生産システム」(後述します)の後押しもあり、積極的な設備投資でスギをはじめとする国産材利用を促進しているのです。
たとえば佐伯広域森林組合(大分県)では、スギの大規模量産工場を開設し、2011年実績で12万m3の丸太を製材。大手住宅メーカーや商社、問屋などに販売しています。外山木材(宮崎県)では、それまでの4工場に加えて、2009年、新たに径18〜30cmのスギ丸太を専門に挽く工場を開設しました。最新鋭の製材・仕上げ加工機械や乾燥機を導入し、この工場だけで5万m3、会社全体では12万5000m3の丸太を製材しています。
共通するのは、ムクの柱だけではなく、急激に需要が増えている構造用集成材のラミナ(挽き板)生産を積極的に行っていること、そして、乾燥の問題をクリアした品質の高い製品をつくっていること。さらに、生産性を高めることで相場より高い価格で立木を購入している(すなわち、森林所有者に還元できている)ことです。スギの人工林に、光がさし始めているのです。

■2.外材に競り負けた時代。
よく知られているとおり、この数十年間、国産のスギは低迷の時代を歩んできました。1980年をピークに立木価格は下落を続け、それでも需要は伸びず、伐期を迎えつつある人工林は資源としての価値を落としていきました。それは、外材に競り負けた時代でした。
当時、日本に多く輸入されたのは、アメリカ、ニュージーランド、ロシア、東南アジアの木材でしたが、中でもスギと競争関係にあったのが米ツガ(ウェスタンヘムロック)です。米ツガは、大量で安定的な供給能力でスギを圧倒しました(日本の森林所有が零細で分散的であったために、スギの供給量はどうしても不安定だったのです)。並材から化粧材まで幅広く利用できることも魅力でしたし、成熟した米ツガに対して日本のスギが質的に劣る間伐材だったことも影響したと思います。
米ツガは天然林から産出されていたためコスト面でも最初から有利でしたが、1985年のプラザ合意で円高ドル安の為替相場がつくられ、その差はさらに広がりました。その後、日米貿易摩擦問題を話し合ったMOSS協議(市場分野別個別協議)で木材の関税がほとんどゼロになってしまったことも、米ツガシフトに追い打ちをかけました。

■3.「ウッドショック」を活かせず。
国産のスギにチャンスがなかったわけではありません。そのひとつが1992年から93年にかけておこった「第1次ウッドショック」です。
引き金となったのは環境問題でした。アメリカで、絶滅危惧種であるマダラフクロウなどを保護するために、連邦有林の禁伐や州有林の伐採規制が行われたのです。米材の供給能力は著しく落ちました。同時期に、カナダでも過伐調整のために原木伐採削減が行われ、世界規模で木材価格が急騰したのです。
この動きにともなって、国産のスギ価格も上昇するのではないか、そして、米材の供給量が減少した分、スギに需要がまわってくるのではないか、という期待がふくらみました。
ところが、米材の現地価格の高騰は円高基調の為替相場の中で吸収されてしまい、国内の木材価格に影響を及ぼすことはありませんでした。そればかりでなく、供給量の減少分をスギが埋めることもありませんでした。
選ばれたのは、ヨーロッパ材、中でもスカンジナビア材だったのです。
当時の日本のスギがほぼグリン材(乾燥処理をほどこしていない材、生材)であったのに対し、スカンジナビアから供給されるホワイトウッドやレッドウッドは完全な人工乾燥がほどこされた、より品質の高いものでした。さらに、柱生産中心の日本のスギに対して、スカンジナビア材が集成材用に挽いたラミナであったことも、ハウスメーカーを中心に高まっていた集成材需要に応えるものだったのです。

■4.乾燥と集成材化への道。
この「乾燥」と「集成材化」は、国産材利用を左右する大きな問題です。
スギは立木の段階で多くの水分を含んでおり、それを伐採して丸太にし、柱などの製材品にした場合、そのままでは時間の経過とともに狂いや割れが生じやすくなります。乾燥は、本来、材の安定性や強度のためにはとても重要な工程です。同様に、複数のラミナを積層する集成材化も、自然素材である木の不安定さを補い、強度や安定性を得るための技術です。けれど、日本の国産材業界は、長い間その導入に消極的でした。かつては、木の状態を見ながら職工さんが柱に挽き、狂いや反りを見越して大工さんが家を建て、不具合が生じれば修繕する、そんな家づくりが当たり前だったために、グリン材のままの柱材を生産するという習慣を変えられなかったのです。
しかし、建築の現場で求められる木材は、確実に乾燥材や集成材へと移行してきました。特に、1995年の阪神大震災で多くの木造軸組建築の住宅が被害にあったことで、木材に対しても耐震性や耐久性が高い精度で求められるようになりました。さらに2001年の「住宅の品質確保の促進に関する法律(品確法)」の施行によって、家も、家電製品や自動車なみの数値化された性能で判断される時代になったのです。
こうした時代の変化に対応できなかったことで、立ち行かなくなった製材業者も数多くあります。一方で、明確な危機感を持ち、具体的な対策に乗り出したのが、冒頭にあげたような先進的な考えを持つ人たちでした。彼らは銀行から融資を受けて乾燥機を導入し、試行錯誤しながら人工乾燥の技術を習得していきました。スギは含水率が高い上に、芯材と周辺材で極端に含水率が違うため、均一に乾燥するのが難しい材です。しかし、集成材用ラミナだけでなく、芯持ち柱角(芯材を含む柱材)の乾燥技術も確立。品質でも日本のスギが選ばれる素地をつくったのです。こうした努力が、現在のスギ消費量増大を実現した原動力といえるでしょう。

■5.「川下」から「川上」へ。
重要なのは、これらの変化が、生産・流通の流れの中でより川下のニーズ(最終的には消費者のニーズ)を製品に反映していること──マーケティング的な発想があるということです。それを、これからの国産材業界の常識にすべきでしょう。そこで期待しているのが冒頭に触れた林野庁の「新生産システム」と、そこから始まる新たな生産体制です。
「新生産システム」は、製材・加工業を中心に、森林所有者や素材生産業者と一体となって消費ニーズに合わせた製品づくりに取り組むというもので、全国に11のモデル圏域を設け、2006年度から5か年計画で行われました。川上(森林側)の都合で素材を出し、製品をつくるのではなく、より消費者に近い川下(この場合は製材・加工業)の側が生産をコントロールする点がこれまでの仕組みとの大きな違いです。
たとえば、1980年に林野庁が打ち出した「地域林業政策」は、間伐材利用の促進によって林業振興をしようとしました。けれど、この場合の製品づくりは山から発生する「資源圧」とでもいうようなインパクトに応えるもので、決して市場のニーズによるものではありませんでした(産直住宅事業へと拡大したケースもありましたが、それもやはり、山から出てくる材を利用するためのものだったのです)。
「新生産システム」は2010年度に終了しましたが、冒頭で紹介した例を含め、モデル地域全体で132万m3から180万m3へと生産量が増加するなど一定の成果を上げました。そこで生まれた生産体制が、これからの方向性を示していると思います。

■6.資源のグローバル化と世界市場。
日本のスギを安定的に利用していくためには、世界市場の動向にも目を向ける必要があります。
象徴的な出来事が、2006年に起こりました。木材価格の再びの高騰、「第2次ウッドショック」です。環境保護による供給量の低下が原因だった第1次のそれとは異なり、今度は、BRICsと言われる新興国、中でも中国の木材消費の増加で供給が追いつかなくなったことが原因でした。一種の「資源インフレ」です。
それまで日本が重要な輸出先であったロシアも、より高い価格で買ってくれる中国へと輸出先をシフトしました。日本の「買う力」の衰えも感じざるを得ませんが、限られた資源が世界市場で取引されることの、これが実態です。しかし、見方を変えれば、日本には十分な森林の蓄積がある。森林資源に関して言えば、日本は「持てる国」です。日本国内の需要に応えることはもちろん、輸出も含めて体制を整えておくべきだと思います。
その時に欠かせないのも、やはりマーケティング的発想です。中国でスギ取引に関するシンポジウムが開催された折、日本のあるスギ材産地の人が「日本でなかなか売れないから買ってほしい」という趣旨の発言をして、「自国で売れないようなものを売りつけるのか」と文句を言われたことがありました。こうした考え方から変えていく必要があるでしょう(たとえば、前述したスカンジナビア材を製材しているスウェーデンの会社では、日本市場向けに、自国にはない規格の「3mの柱用ラミナ」を高い品質で製材しています)。日本のスギを、どの地域に、どのようなかたちで売っていくべきなのか、そうした戦略が必要なのです。

■7.「適正」価格にはまだ遠い。
スギの利用が進んできているとはいえ、まだまだ課題もあります。
ひとつは、立木価格がいまだに安値で推移していること。スギを伐り出した跡に再造林をしても若干の利益が出るギリギリのラインは、丸太の平均価格で1万5000円/m3程度ですが、なかなかそこには到達しません。そのために、再造林放棄や山林の売却が後を絶たないのです。林業が産業として成り立たないばかりでなく、森林そのものも荒廃してしまいます。
冒頭で紹介したケースのように、製材・加工業側が生産性を上げる努力をすることによって、山側に経済的な還元を行っている例もあります。さらに、伊万里木材市場(佐賀県)では、森林所有者と協定を結び、木を伐り出した跡地の地拵えや植林、その後の下刈りまでを行って5年後に森林所有者に引き渡しています。国の造林補助金を利用しますが、超過分は伊万里木材市場が負担します。
しかし、企業努力で吸収しなくても持続的に森林経営をし、安定して素材を供給できるようになるには、やはり立木価格がもう少し上昇する必要があります。需要が高まっている集成材や合板用のB材、C材が、全体の価格を押し上げる役割を担ってくれるといいのですが、今のところはなかなか難しいのが現状のようです。
需要と供給の調整ができていないことも大きな課題です。需要が増えると増産する、需要が落ちれば生産を控える。この健全な市場原理が働かなければ、適正な価格は生まれません。しかし、現在は需要とまったく無関係に素材が出てくるために、買いたたかれることが少なくないのです(私有財産処分としての再造林放棄の皆伐や、国有林伐採、補助事業による間伐などがこの状況に拍車をかけています)。

■8.真の国産材時代へ。
国産のスギは、少しずつではあるが確実に消費されています。木材自給率も上昇傾向にあります。再三述べてきたように、この動きをさらに安定的にし、川上から川下までが産業として持続的に成立するためには、業界全体で市場ニーズに対応していくことが必要です。
たとえば、製材の後、建造物の図面に合わせて構造材の仕口加工などを行う「プレカット」の工程には、求められている木材の情報が集約されます。この情報をデジタル化して素材生産者と共有できれば、丸太の段階から無駄なく供給し、製品化することができるはずです。需給バランスも整い、価格の適正化にもつながるでしょう。
また、一本の製材品には、樹種や原産地、含水率、強度、サイズ、メーカー名といった品質にかかわる様々な情報が印字されていますが、ここに森林所有者名や伐採時期なども情報として加えれば、森林所有者から施主までのデータを一本化して共有することができる。トレーサビリティが生まれ、品質確保や信頼性向上につながるでしょう。
さらに、立木の段階からニーズに合うものをつくろうという動きも出てくるでしょう。たとえば、「乾燥しやすいスギを育てる」というのもそのひとつです。宮崎県で多く育てられているオビスギ(飫肥杉)、その中でもタノアカといわれる品種は、乾燥しやすく、乾燥すれば高い強度が得られることがわかっています。乾燥しやすいことは製材業界のニーズ、そして最終的に得られる強度は家を建てる消費者のニーズです。その情報が森林の側までもたらされれば、再造林でその品種に移行していくこともできる。将来的には、末口径級と長さだけでなく、強度による価格体系が生まれるかもしれません。
これまで、為替の変動によって輸入が有利になると外材に切り替えていた製材・流通業界やハウスメーカーも、今回は腰を据えて国産材の使用を継続しています。供給する側も、第1次ウッドショックのころよりは生産体制の整備が進んできました。真の国産材時代は、もう目の前まで来ていると思います。
強く、安心な木の家に住みたいという人はたくさんいます。木造建築に興味をもっている若い建築家も多い。だからこそ、そのニーズに応えられる、そして、日本が持つ豊かな資源をよりよく活かせる仕組みをつくっていかなければならないと思います。


[遠藤 日雄]
1949年北海道生まれ。九州大学大学院農学研究科博士課程修了。農林水産省森林総合研究所東北支所経営研究室長、本所経営組織研究室長、独立行政法人森林総合研究所林業経営/政策研究領域チーム長を経て現職。
主な著書に『スギの行くべき道』(全国林業改良普及協会)、『不況の合間に光が見えた!』『木づかい新時代』(日本林業調査会)、『スギ材産地の進路』(共著、日本林業技術協会)など。