■第43号(2011.4発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

来るべき国産材時代のために
─林業・林産業の課題と未来像─

成美大学 教授 萩 大陸(談)


1.国産材需要が伸び始めた。
2.国産材市場は、粗悪な材であふれていた。
3.外材は、「質」で選ばれた。
4.戦後林業の多くは、「初心者」だった。
5.国産材取引を、正常化へ。
6.林業はニーズに応えられる産業である。
7.海を超えて広がる可能性。
8.国内では、中高層建築の木造化を。
9.林業にも新しい時代のスタイルを。



国土の約70%を森林が占める日本において、森林を健全に保ち、その資源を適切に利用することは、とても大きな課題です。近年は、木材自給率が5年連続して上昇するなど明るい兆しも見えてきました。将来に向けて、日本の林業・林産業が真の意味で元気になるためにはどうすればよいのか。これまでの歩みをひもとく中に、さまざまな課題と解決策が見えてきます。

■1.国産材需要が伸び始めた。
最近10年の間に、国産材の利用は大きな伸びを見せています。集成材や合板のメーカーの多くが、外材から国産材へと原料をシフトしはじめ、木質バイオマスなど新しい木材需要も顕在化してきました。木材自給率は2005年に20%台を回復、最新となる2009年のデータでは27.8%となっており、再び国産材時代がやってくるのも遠い未来ではないように思えます。
しかし、こうした国産材利用の動きを、ただ喜んでいるわけにはいきません。なぜなら、その要因のひとつは木材輸入の競合の激化で外材が入手しにくくなってきたことにあり、日本の林業・林産業が抱えていた問題──長い不振の原因──が解決した結果ではないからです。
いま、日本の森林に蓄積されている木材資源を正しく利用し、林業・林産業全体を元気にするためには、これまでの歩みをきちんと分析していく必要があります。それは、「国産材が売れなくなった」歩みです。

■2.国産材市場は、粗悪な材であふれていた。
まず、林業・林産業の川下のほう──木材加工、製材の分野について見てみましょう。
国産材の取引では、戦前から、ある種の「不正な」取引の慣習がありました。製品の量(寸法)をごまかす「歩切れ」は常態化。さらに、販売する製材品の量が仕入れた丸太の量より多い──製材歩留まり率100%超──という、常識ではあり得ない取引も横行していました。「ない」ものを「ある」として売る、「空気売り」です。その他にも、束ねた製材品の中に粗悪品を詰め込む「アンコ」、結束をほどくと曲がり材が元に戻ってはじけ跳んでしまう「バクダン」など、質・量ともに正常ではない取引が蔓延していたのです。
そうした方法を、単なる古い体質、商習慣だったとして見過ごせないのは、それがあまりにも長く是正されなかったからです。
背景にあったのは、戦後の住宅不足でした。その数は420万戸にも達しており、建築用材に対する需要の高まりが極端な売り手市場をつくりだしました。この住宅不足が解消された──総住宅数が総世帯数を上回った──のは1968年のこと。実に長い期間にわたって──実際には1970年代に至るまで──木材加工業者、製材業者にとっては「挽けば売れる」時代が続いたのです。
当時の業界紙には、「今年こそ歩切れの一掃を」「正量取引をしよう」という記事が毎年のように見られました。戦後20年以上経過しても、売り手は正しい取引をしなかった。そして買い手は、そうだとわかっていながら粗悪な木材を買わざるを得なかったのです。

■3.外材は、「質」で選ばれた。
そして、1961年、外材の輸入が始まりました。
外材は、とりわけ中心となったアメリカ・カナダからくる米材は、30センチ以上の太い丸太がほとんどでした。これを製材すれば、国産材のような「空気売り」はできません。国産材と比べると、品質の差は歴然としていました。それに加えて、外材には圧倒的な安定供給力もあった。買い手がどちらを選ぶかは、明らかでした。
こうして国産材離れは急速に進み、外材の輸入は増え続けました。
隆盛を極めた日本林業が衰退し、採算のとれない産業となってしまったのは、外材との価格競争に敗れたからだ──いわゆる「外材安価論」が、これまで事実のように言われ続けてきました。たしかに、輸入が始まった頃の外材が安価だったことは事実です。なにしろ、数百年生の米材丸太が、40〜50年生のスギやヒノキより安い値段で売られていたのですから(そして、安い価格は大量伐採・輸出につながり、結果としてアメリカ・カナダの「オールドグロス」と呼ばれる数百年生の材は、今や希少資源になってしまいました。輸出国側は自らの資源の価値を認識していなかったし、輸入を担った商社は資源開発能力が低かったとしか言いようがありません)。
しかし、より大きかったのは品質の問題だったのです。そのことは、外材が国産材との価格差を徐々に縮めながら──そして、実際に1992年には国産のスギ丸太の価格を米ツガの価格が上回るわけですが──それでもシェアを拡大してきたことが表わしていると思います。

■4.戦後林業の多くは、「初心者」だった。
一方、川上である林業の歩みはどうだったのでしょうか。
戦前の林業に求められていたのは、圧倒的に燃料用木材の供給でした。広葉樹の森林から薪炭をとる「薪炭林業」がメジャーだったのです。たしかに、戦前にもスギやヒノキを植林・育成する「人工林業」はありました。吉野林業などがその代表ですが、それらは、いわゆる有名林業地として全国にいくつか点在する程度で、ごく限られたマイナーな存在でした。
ところが、戦後の建築材需要の急増が状況を変えました。広葉樹林を伐ってスギやヒノキへと転換する、いわゆる拡大造林が行われ、日本全国が人工林業地帯となりました。戦後の林業は、ですから、「人工林業が初めて」という林家によって埋め尽くされたわけです。しかも、建築材に対する大きな需給ギャップによって、長期にわたって右肩上がりの材価の高騰が続いた。ほとんど経営努力をしなくてもお金が入ってくる、極端に恵まれすぎた環境が長く続いたのです。そこに、市場の動向を見て経営の工夫をする、というような風土は育ちませんでした。

■5.国産材取引を、正常化へ。
忍び寄る国産材不振の兆しの中で、新しい動きがなかったわけではありません。
たとえば、1964年から65年にかけて、岐阜県・三重県・愛知県の6つの製材メーカーが「東濃檜」という銘柄材を生み出しました。「歩切れのない正量品であること(乾燥を含む)」「無節と表示したものは本当に無節、など、中身にごまかしがないこと」など、それまでの粗悪性を排除しただけで、たちまち銘柄材となったのです。また、岡山県美作では、地域をあげてすべての材に乾燥を徹底することで、品質管理レベルの高さが評価され、全国でも有数の産地となりました。
あるいは、市場そのものを改革した動きもありました。西垣林業もそうした企業のひとつでしたが、材の寸法や等級などの仕訳を正確・緻密に行い、買い手の求める木材を供給できる新しい市場のシステムを確立したのです。さらに、そうした市場の情報を林家に伝え、価値の高い材を協力してつくる造材指導も行いました。

■6.林業はニーズに応えられる産業である。
こうした動きに共通しているのは、市場のニーズをとらえ、それに応える製品づくりをしよう、としたことです。
木を育てて商品化するには何十年という時間がかかるために、林業は市場ニーズに対応しにくいという印象があるかもしれません。しかし、林業の商品である木には決まった熟期や収穫期がありません。樹高40〜50センチのクリスマスツリー用に植林後数年で収穫することもできれば、同じ木を数百年生の寺社仏閣用材にすることもできる。どのような商品にし、どのような販路を開拓するかによって結果的に収穫期が決まる、まさに経営判断によってきわめて多様な選択が可能になるのです。たとえ当初の計画や予想とちがっても、農作物のように腐ったり、熟期をのがすと商品価値が失われるというようなこともありませんから、常に再チャレンジができる。これは林業の大きな強みなのです。
ところが、かつての林業・林産業は、市場の情報が川上までなかなか伝わらなかった。「いくらで売れるのか」といった情報を遮断することによって、安く仕入れよう、利益をあげようという体質があったからです。また、前述したように、林家の多くは経営判断によって収益が左右されるという経験も積んでこなかった。せっかくの林業の強みを活かしきれていなかったのです。

■7.海を超えて広がる可能性。
歴史の中で、さまざまな課題を抱えてきた日本の林業・林産業は、これから先、どのような方向へ進んでいくべきなのでしょうか。
ひとつの方向は、輸出です。国土の約7割が森林であり、戦後造林した人工林の蓄積という資源がある日本で、林業・林産業は輸出産業にならなければならない、というのが私の考えです。
たとえば中国は、1998年の長江大洪水後に天然林の伐採禁止措置をとったことで原木不足に陥りました。木材輸入関税を撤廃したこともあり、今や日本を上回る木材輸入国となっています。ここに、大きなニーズがあります。私自身も自治体に働きかけ、2003年10月に実現したのが、宮崎県から中国・福建省への3500m3のスギ・ヒノキの輸出でした。これは、木材の輸入大国であった日本が新しい時代に踏み出したともいえる、画期的な出来事です。その後、連鎖反応的に各地で木材輸出がはじまり、今では製材品の輸出も行われるようになっています。
この流れをさらに広げていくために、日本のメーカーは、相手国のニーズにあった付加価値の高い加工品を生み出す努力をすべきでしょう。また、品質にも改善の余地があります。基本的なことでいえば、木材はきちんと乾燥していなければ寸法規格そのものが成り立たないのに、日本で流通している木材の乾燥率はまだ20%台という非常に低いものです。

■8.国内では、中高層建築の木造化を。
一方、国内にも、大きな需要が眠っています。世論調査で80%の人が「木の家に住みたい」と回答する日本にあって、実際に建つ住宅の木造率は40%台。この、ニーズと現実の間の大きな乖離を埋めるところに、国産材利用のひとつの可能性があると思います。
カギを握るのが中高層住宅の木造化です。木造を選ぶことができる戸建て住宅に対して、中高層のマンションや集合住宅には木造のものがなく、それが現実の木造率を低下させているからです(事実、戸建て住宅の木造率は80%で、民意とぴったり合致しています)。
現政権は「コンクリート社会から木の社会へ」というスローガンを掲げ、その一環として2010年10月、「公共建築物等の木材利用促進法」を施行しましたが、木造化の対象は低層建築だけで、中高層建築については内装の木質化にとどまっています。「木の社会へ」という姿勢を明確にするなら、すみやかに中高層建築も木造化の対象にすべきでしょう。
実は、住宅を含む中高層建築の木造化というのは、いまや先進国の常識です。
石油エネルギーの高騰などを背景に、木造が鉄筋コンクリートなどに対してコスト競争力をつけたということ。さらに、環境負荷という観点から、木造の優位性が評価されてきたからです。特に、後者は世界共通の認識になっています。
EUでは1990年代半ばに木造の性能規定化の法整備が進められたこともあり、4〜5階の中層アパートでは木造があたり前になりつつあります。アメリカでも4階建てアパートの多くは木造にとって代わるようになり、日本と同じ地震国のニュージーランドでも性能規定化によって木造中層建築が増加しています。オーストリアでは、2009年10月、20階建て、高さ70mの超高層木造建築の計画が発表され、大きな話題になりました。
日本でも、法整備を進めることで、安心して住める木造の中高層建築ができるはずです。国が率先して木造で公共建築物を建てれば、一気に木造化の流れが加速するでしょう。市庁舎や駅など、大きな建物が木造になることのメッセージ性は非常に大きいと思います。

■9.林業にも新しい時代のスタイルを。
最後に、林業がどうなっていくべきなのか、考えてみたいと思います。
かつての薪炭林業では、広葉樹林を伐採して薪炭として利用し、伐採後は自然の更新にまかせていました。20〜30年放置すればまた伐採・利用が可能になる、いわば「ノーコスト林業」が、日本林業のスタンダードだったのです。その中で、一部の人工林業が成立していたのは、それがノーコスト林業を上回る収益をあげていたからです。薪炭林業も、人工林業も、補助金などあてにしなくても何百年も循環利用を持続させてきたのです。
これがいいお手本になると思います。植林・育成をしても収益が見込めるのであれば人工林業を、それが難しい森林では、これから需要が増すであろう木質バイオマスを供給する「バイオ燃料林業」として、現代のノーコスト林業の復活を目指す。焼畑林業として焼畑と組み合わせれば、森林内における食料生産の復活もかなうでしょう。
こうした林業の復興の大きなカベになっているのが、鳥獣害問題、特にシカによる食害です。植林しても苗木をすべて食べられてしまうために、林家は木を伐りたくても伐れないのです。原木単価がもう少し上がれば再造林費用にあてられる、という議論がありますが、鳥獣害問題の対策を立てないかぎり、造林は難しいでしょう。また、造林しても、その後の育林コストの重圧が林業放棄の大きな要因になっているという問題もあります。鳥獣害対策に加えて、育林コストの低減も、林業の再生にとって不可欠です。
国産材時代は、すぐそこまで来ています。けれど、その実現のためには、まだまだ多くの課題が残されています。林家の経営的視点の育成。林産業、流通分野まで含めた利益共同体意識の醸成。そして、林業と林産業、川上と川下が協力してニーズを開拓し、そのニーズに対応した価値の高い製品をつくること──。それらが実現できたとき、そこには林業・林産業の大きな可能性が拓けてくるでしょう。


[萩 大陸]
1946年北海道生まれ。東京大学大学院農学系研究科林学専攻博士課程修了。京都大学農学部助手、京都短期大学助教授、教授を経て現職。農学博士。専門は森林経済学、林産経済学、焼畑林業、アグロフォレストリー。
『国産材はなぜ売れなかったのか』(日本林業調査会)『外材時代の終焉と国産材時代への課題』(林構情報)『新しい木材需要と製材業の今後の展開』(林業経済研究)『製材商品の近代化に関する研究』(都市文化社)など、著書・論文多数。