■第42号(2010.10発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

「直接支払い」の可能性と、日本林業の再生。

九州大学大学院 農学研究院 教授 佐藤宣子(談)


1.新しい制度へ、時代が動き始めた。
2.「価格支持」から「直接支払い」へ。
3.2002年、「直接支払い」的な『森林支援交付金』開始。
4.森林の保全に、新しい道を拓いた。
5.既存の補助金の「隙間」を埋める制度。
6.複雑な制度設計がネックに。
7.情報の共有と公開を。
8.制度を動かすのは、人の力。
9.2010年、本格的な『日本型森林直接支払制度』の
  制度設計に向けて─。




いま、森林・林業に対する「直接支払い」という制度がクローズアップされています。「直接支払い」とは、生産物の市場価格とは関係なく生産者に直接支払われる公的予算のこと。農政の分野ではEU諸国をはじめ、各国で取り入れられています。この考え方が、木材の価格低迷に苦しむ日本の林業にとって、また、間伐の遅れなどによって荒廃する日本の森林にとって、状況を好転させる契機となりうるのか、その可能性を探ってみます。

■1.新しい制度へ、時代が動き始めた。
森林・林業の分野で「直接支払い」が注目されたのは、昨年のことでした。与党となった民主党のマニフェストに、「直接支払制度」への言及があったからです。適切な森林管理を行う者に対して必要な費用相当額を交付する「森林管理・環境保全直接支払制度」(仮称)を導入する方針が示され、2010年度中に具体的な制度設計を検討するとされています。
「直接支払い」とは、広義には、「(農地や森林などの)管理・経営主体に公的予算を直接支払うこと」を指しますが、特徴的なのは、「何をどれだけ生産したか」ということと、できるだけ切り離した形で経済的な支援をしようとする点です。
「直接支払い」の分野で先駆的な取り組みを続けてきたのはEU諸国の農政分野です。その動きを見ると、この制度の仕組みがよくわかると思います。

■2.「価格支持」から「直接支払い」へ。
かつて、EU諸国の農政分野で中心的に行われてきた補助制度は、生産物の価格を一定水準に維持する「価格支持」という手法でした。つまり、市場価格とは関係なく一定の価格を政府が保証する制度です。市場価格の変動から農業生産を守る目的でした。
しかし、様々な弊害も指摘されていました。ひとつは、生産過剰です。EU諸国には食糧自給率が100%を超える国も多く、余剰分は輸出に回されますが、価格支持によって価格が抑えられた農産物は、世界の市場に大きな影響を与えます(たとえば、自国の農業生産を保護するために、農作物に高い関税を課す、という政策も出てきます)。これは、WTO(世界貿易機関)のもと、関税を低く抑えて自由貿易を促進するという世界的な要請と相反するものでした。そのため、生産を刺激しない形の新たな補助政策が求められていたのです。
さらに、「価格支持」は環境負荷の高い生産を後押ししかねない側面もありました。収量をあげれば収益もあがるため、過剰な肥料をやって地下水を汚染するなどの問題が起きていたのです。また、「価格支持」のための膨大な予算を縮小したいというニーズもありました。
こうした背景から、保証する価格を引き下げ、その代わりに一定の条件を満たした生産者に対して直接支援をする「直接支払い」という考え方が導入されたのです。
EUの制度では、環境負荷の低い生産方法や、景観保全といった環境配慮に対しても補助金が支払われます。EUの人々にとっては、美しい農地の広がる風景が自分たちのアイデンティティである、という意識が強く、それを維持することに対して税金を使うことへの同意が得られやすい。この点も、「直接支払制度」の導入を後押ししたといえます。

■3.2002年、「直接支払い」的な『森林支援交付金』開始。
では、日本ではどのような動きがあったのでしょうか。
日本の林業には、もともと「価格支持」的な施策は存在しませんでした(木材価格は、低水準で推移したままです)。その中で、2002年に導入されたのが「森林整備地域活動支援交付金」(以下、「森林支援交付金」)です。生産物(木材)の価格を保証するのではなく、健全な森林の維持・管理に対して経済的な支援をしようという、「直接支払い」の考え方に近い制度でした。
「森林支援交付金」が生まれた背景にあるのは、2001年の森林・林業基本法の施行と、それにともなって改正され誕生した新しい森林法です。森林・林業基本法では、「森林の多面的機能の発揮」が森林政策の大きな目的だとされました。森林の多面的機能とは、生物多様性の保全、土砂災害の防止、水源の涵養などを指しますが、その理念を具体化するための施策のひとつが「森林支援交付金」だったのです。
現在の日本の森林で、多面的機能の発揮を阻害している要因のひとつは、きちんとした維持管理がされていないことです。所有の境界もわからない森林がたくさんあります。作業道が整備されていなければ、必要な施業は行えません。こうした状況を改善することで、健全な森林、多目的機能を発揮できる森林へと導いていこうとしたのです。
5年を1期とし、現在第2期の4年目を迎えている「森林支援交付金」。この制度を検証することは、新しく生まれる直接支払制度を展望する上でも、不可欠なステップです。

■4.森林の保全に、新しい道を拓いた。
「森林支援交付金」を受けるには、いくつかの手続きがあります。
まず、森林施業計画を作成すること。森林施業計画は森林法に基づいた制度で、これを作成し、市町村長などの承認を得ることが、様々な助成の基本条件となっています。ただし、30ha以上の森林であることが要件なので、小規模所有者が多い日本では、複数の所有者がひとつの経営主体としてまとまる必要があります。
森林施業計画が市町村長から認定され、地域活動の実施について協定を結んだ後、その森林で「森林支援交付金」の制度が定める「対象行為」を行います。実施が確認されると交付金が交付されます。「対象行為」には一定の基準があり、第1期(2002〜2006年度)では「森林の現況調査」や「施業を行う区域の明確化」「歩道の整備」などとされていました。つまり、「まず森林に入って、森林の状況を把握すること」や「所有者ごとの森林境界を確認すること」に対して、補助金が支払われるのです。
この制度が特徴的だったのは、「対象行為」の量や方法の規定が柔軟で、地域の裁量に任されていたことです。その地域に必要な施業を地域で判断し、交付金を充てることができました。人工林だけでなく天然林も対象になった点も有意義でした(「35年生以下の人工林」「60年生以下の育成天然林」というように、細かな規定はありますが)。これによって、天然林が多く、荒れたままになっていた里山の保全などにも経済的な支援が行われる道が拓けたのです。
森林施業計画の作成者であれば、所有者から委託された森林組合やNPO、民間企業など、所有者以外でも交付金を受け取ることが可能です。新しい森林法で、森林施業計画の作成者の範囲が広がったことによるものですが、実質的な森林管理者を支援することができる制度になったことにも、大きな意味があったと思います。

■5.既存の補助金の「隙間」を埋める制度。
この「森林支援交付金」導入以前にも、林政の分野には「造林補助金」や「間伐補助金」など、ある意味「直接支払い」的な制度がありました。しかし、これらの既存の補助金には、定められた施業を、定められた方法で行わなければならない、という自由度の低さがありました。
たとえば、「スギなら1haに何本以上植えなければならない」「下刈の場合には、すべての草をきれいに刈らなければならない」など、都道府県ごとにマニュアルがあり、これを守らなければ補助金は受け取れません。コスト感覚や、状況に合わせた技術の工夫が生み出されにくい仕組みであることは、既存の制度が抱える問題のひとつでした。
一方「森林支援交付金」では、より柔軟に、既存の補助金がカバーできなかった施業を支援できるようになりました。たとえば、これまで、作業道の敷設には補助金が出ましたが、維持管理の費用は所有者の負担でした。そのため道が荒れてもなかなか補修ができず、施業が行いにくくなり、さらに森林が荒れるといった悪循環をもたらしていたのです。実際、「森林支援交付金」では、作業道の補修が行われた事例が全国に見られました。地域の森林に必要なことを地域が判断し、そこに交付金を充てる。そうした使い方が可能になったことは、評価できると思います。

■6.複雑な制度設計がネックに。
ただ、スタートから9年が経過し、様々な問題点も見えてきているように思います。
ひとつには、支援金の交付額を算定する仕組みが極めて複雑であるということです。交付金額算出のため、対象となる森林は、天然林・人工林それぞれに「何年生から何年生まで」と細かく決められているのですが、第2期(2007年度〜)からはそれがより複雑になりました(たとえば、「11年生以上35年生以下の人工林のうち、36年生以上45年生以下の人工林と隣接し、これらを集約することで効率的施業が可能になると市町村長が判断するもの」というように)。さらに第2期の制度変更により、森林施業計画が樹立済みの森林では1haあたりの交付単価が半減しました。非常に使いにくく、使う意欲を減じるような制度設計になったことは、大きな問題です。

■7.情報の共有と公開を。
もうひとつの問題点は、情報共有・情報公開の度合いの低さです。
「森林支援交付金」では、交付金を受け取る条件である「対象行為」の範囲が決められているために、ひとつひとつの事例についての検証は必要なしとされ、結果として、各地でどんな使われ方をしていたのか、極めて見えにくくなってしまいました。林野庁も都道府県も積極的な情報発信をしませんでしたし、ましてや一般の認知もほとんどされないまま、制度運用が続いたのです。農政分野で導入されている直接支払制度(「中山間地域等直接支払制度」)において、都道府県に設置された第三者委員会が利用実態や効果を検討して発表し、インターネット上で地域間の情報交換が活発に行われ、メディアを通じて一般社会に向けても発信されたことと比べると、歴然とした差があります。
複雑な制度設計と情報の少なさは、交付金の利用者を減らす結果となりました。2007年から始まった2期目では年間の予算を使い切ることができなかったのです。2009年に行われた事業仕分けでこの点が指摘され、2010年度は余剰分の予算で運用するものの、来年度には見直しの要請があるのではないかと思っています。
せっかく生まれた制度が、十分に活用されないまま後退していくのは残念です。冒頭に述べた新制度の具体化にあたっては、こうした問題点を十分に分析し、より使いやすく効果につながる制度設計を行う必要があると思います。

■8.制度を動かすのは、人の力。
それでも、「森林支援交付金」を利用して森林を整備し、地域活性化への足がかりにした事例もあります。
たとえば、「使える森をつくる」という目標をかかげる秋田県東成瀬村では、かねてから取り組んでいた作業道の整備をさらに進めました。山に細かく張り巡らされた作業道をきちんとメンテナンスすることで、入りやすく手入れをしやすい山の環境づくりが進んでいます。
また、佐賀県佐賀市富士町では、森林組合と町役場の呼びかけで、地域内すべての人工林で現況調査を行いました。所有者の約4割もこの調査に参加。森林境界線を確認し、正確な森林簿の作成に取り組みました。森林の状況を見ることで、山から離れていた所有者にも手入れの必要性を伝えることができ、その後の間伐作業がスムーズに進んだといいます。
こうした事例に共通するのは、そこに、制度を理解し、地域に合った形で運用しようとした人、周囲の人々に働きかけた人がいたことです。制度が本当に効果を発揮するためには、こうした「人の力」が不可欠です。日本の森林は、5haを所有している人ですら、そう多くありません。交付金を受ける要件である30haを集めるためには、多くの所有者のコンセンサスを得る作業が必要です。その地域に住んでいない所有者もいます。林業に関わっていても、全員が積極的な人ばかりではありません。そうした現実の中で、森林を守り、山村での生活を守るためには、コーディネータ的な役割の人が本当に重要になると思っています。

■9.2010年、本格的な『日本型森林直接支払制度』の制度設計に向けて─。
日本は、国土の約67%が森林です。山間地域では森林率が90%を超えることも珍しくありません。森林を健全に保つことは、国土を守ること、地域社会を守ることと、ダイレクトに結びついているのです。森林に対する「直接支払い」が必要であり、かつ有効だと考える根拠は、そこにあります。
ただ、気がかりなこともあります。新制度創設に向けていま行われている議論では、小流域単位で数百haの森林を団地的にまとめた経営が想定されているのです。零細な所有者から施業を受託し、大規模に効率よく施業する人に費用を交付しよう、という考え方です。「森林支援交付金」を受けるために30haを集めることでさえ大変な日本の森林で、これはとてつもなく高いハードルです。
効率的な木材産出は重要だし、路網の整備など、小流域単位で共同化したほうがよい作業もあるでしょう。けれど、効率を追い求めるあまり、森林(と林業)を、単に物的な資源としてだけ考えてよいとは思いません。地域に暮らす人、森林を受け継いできた人たちを排除するような方向に進むべきではないはずです。
「健全な森林」の維持に向けて必要な施業ができるようにすること。環境に配慮し、生物多様性を維持するような施業(木材生産をしないという判断も含めて)に対して「環境加算」ができるようにすること──。単に森林管理に対する部分的支援にとどまらず、林業も、環境も、地域社会も包括的に支援できるような、真に効果的な直接支払制度をつくる必要があると思っています。


[佐藤 宣子]
1961年福岡県生まれ。九州大学大学院博士課程修了。農学博士。同大学農学部助手、助教授などを経て現職。専攻は森林政策、林業経済。国土交通省国土審議会委員(2008年度〜)など、研究分野を生かした社会活動も。
主な著書に、『日本型森林直接支払いに向けて』(日本林業調査会、編著)、『構造不況下の林業労働問題』(全森連、共著)、『農が拓く、東アジア共同体』(日本経済評論社、共著)、『森林資源管理の社会化』(九州大学出版会、共著)など。