■第41号(2010.4発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

「伝統木造建築物と耐震設計」
─木造文化のこれから―

立命館大学立命館グローバル・イノベーション研究機構 教授・
                  京都大学名誉教授 鈴木祥之(談)



1.伝統の街並みが消えていく。
2.ふたつの木造建築と、ひとつの法律と。
3.阪神・淡路大震災で見えてきたこと。
4.伝統構法にも、客観的な強さの指標を。
5.建物を揺らして、データをとろう。
6.「合法的な」伝統構法へ、目に見える「マニュアル」を。
7.京町家再生への取り組みも。
8.伝統木造建築物を活かすための「使える設計法」づくりを。



阪神・淡路大震災から15年。多くの建物が倒壊し、甚大な被害を出したこの災害は、木造建築物の性能に対する大きな転換期となりました。現在、地球は地震の活動期を迎えているといわれており、日本でも、さらなる大地震の発生が予測されています。世界有数の地震国であり、同時に木の文化を育んできた日本で、私たちが求めるのはどのような住まいであり、また、どのような街の景観なのでしょうか。日本の木造建築の未来像を探ります。

■1.伝統の街並みが消えていく。
京都を代表する風景のひとつに、京町家の街並みがあります。町中に建てられる伝統的な民家を「町家」といいますが、中でも京町家は、間口が狭く奥行きが長い、「うなぎの寝床」と呼ばれる独特の構造。表と裏庭を結ぶ「通り庭」や、格子、天窓などを設けることで、隣地と隙なく連なる敷地条件の中でも、光や風を上手に取り入れて暮らしてきました。京町家は、京都の風土や生活文化、自然観が長い時間をかけて培ってきた「住みかた」のひとつの現れです。
けれど、老朽化をはじめとする様々な理由で京町家が取り壊されるとき、その跡に建つのは新しい町家ではなく、ビルやマンションです。京町家の建築年代は、新しいものでも昭和初期。京都市の調査では、年間約2%の割合で失われているという結果が出ています。
ひとつの大きな原因が、法律の壁です。
隣地との隙間がほとんどない京町家は、建ぺい率もクリアできないし、けらば(切妻屋根の側面の両端部)が順番に重なり合いながら並ぶ建て方も、法律で定められた隣地境界線をオーバーすることになってしまいます。
さらに、もっと根本的な問題があります。京町家の建築方法(建て方)が、そもそも現行の建築基準法の枠外にあるということです。

■2.ふたつの木造建築と、ひとつの法律と。
そこには、日本の木造建築と法律を巡る、数十年にわたる歴史があります。
日本の木造建築は、古来、「木造軸組構法」でつくられてきました。木の柱で構造体をつくり、その間に壁を配する建て方です。この「木造軸組構法」の中に、「伝統構法」と「在来構法」というふたつの建築方法があることが、問題を複雑にしています。
伝統構法では、地域によって差はあるものの、礎石の上に柱を立て、柱と梁や桁を組み合わせて「軸組」をつくります。材の接合面を加工して(切り欠いて)組み合わせたり、片方の材にもう片方の材を差し込んだり、と、様々な技術を用いて素材と素材をつなぎますが、大きな特徴は、柱と梁や桁をがっちりと固めるのではなく、やわらかくつないだ構造だということです。
一方、現在の木造住宅の多くを占める「在来構法」では、基礎と土台を緊結し、柱と梁や桁も金物などを使って緊結します。柱の間には筋かいの斜材や構造合板などの面材を入れ、強い壁(耐力壁)を設けて、建物全体をがっちり固めて強さを確保する構造です。
地震や強風などの力を受けたとき、構造体全体がやわらかくしなって力を分散・吸収するのが伝統構法、がっちりと固めて抵抗するのが在来構法です。「強さ」に対する考え方がまったく違うことがわかると思います。
かつて、木造建築の主流は伝統構法でした。寺社建築はもちろん、京町家を含めた各地の民家も、この方法で建てられてきました。しかし、1950年に施行された「建築基準法及び建築基準法施行令」が転機となります。
建築基準法は、戦後の建物需要に対し、できるだけ簡易に、しかも一定の安全性を確保した住宅を建設するための法律でした。ここで義務付けられたのが、建物に「筋かい」と「耐力壁」を設けること、すなわち、在来構法の建て方です。伝統構法で家を建てるためには複雑な手続きと多くの労力が必要になった上に、住宅金融公庫の融資を受けるためには建築基準法の要件を満たすことが条件になったことで、伝統構法は非常に選択しにくい建築方法になってしまったのです。

■3.阪神・淡路大震災で見えてきたこと。
1995年の阪神・淡路大震災では、多くの住宅が倒壊し、そのために多くの命が失われました。それまで、ビルなど大型の建築物に応用する耐震構造の研究を専門としていた私にとって、中にいる人を守るべき建物が人の命を奪ったことは大きな衝撃でした。
地震発生直後から現地に入り、倒壊した建物の調査をしたのですが、木造の被害が非常に大きいことがわかりました。特に、戦後間もなくに建てられた在来構法の木造住宅が密集した地域での被害が大きかったのです。
時代背景もあり、構造計画の悪さ、施工法・施工技術の未熟さなどが倒壊の要因となった建物が数多くありました。さらに、防火・耐火目的で外壁を覆ったモルタルが壁の中の通気性を損ない、そこにシロアリや腐朽菌が発生して構造材が傷んでいた建物も多くあり、それが被害を大きくしていました。
一方で、周囲の建物がほとんど壊れているのに、無事だった建物もあります。そういう家の方に、「誰に建ててもらったのですか」と尋ねると、しばしば同じ名前があがる。伝統構法で強い家をつくる大工さんたちが、棟梁から弟子へ、またその弟子へ、とつないできた技術の系譜が見えてきたのです。

■4.伝統構法にも、客観的な強さの指標を。
構造をやわらかくつなぐことで風や地震の力を吸収し、逃がす伝統構法は、「木」という素材や「木組み」がもっている、「ねばり、しなってもとに戻る」という本来の性質を極めて上手に生かしたものです。正しい技術で建てれば、あの大地震でも壊れない木造建築物ができるのです。
在来構法の建物は、建築基準法改正のたびに強度を高めてきました。ハウスメーカーなどで実験や研究を進めてきたこともあり、新しく建てられるものは、ある程度の地震では壊れない、という水準にまで達していると思います。
ひるがえって伝統構法では、その強さや耐震性が客観的に証明されてこなかった。伝統構法にふさわしい耐震設計の方法もマニュアル化されていませんでした。個々の大工さんには強い建物を建てる技術があるのに、法律上でそれを証明することができずにいたのです。この「伝統構法の強さ」と「建築基準法が求める強さ」の間にあるギャップを埋めること──すなわち、伝統構法を合法的に建てる道筋をつくることが急務でした。技術を持った人がいるうちに、伝統構法の木造建築物があたり前に建てられる環境をつくるべきだと感じたのです。
伝統構法は、気候や風土、生活習慣などによって、地域ごとに特色のある木造建築物をつくってきました。高温多湿の地域と台風の多い地域、雪の多い地域では、柱脚のつくり方も、柱と柱の継ぎ方も異なるのです。各地で育まれ、受け継がれてきた「木造文化」を健全なかたちで継承していくために、伝統構法にふさわしい耐震設計法を探る試みが始まりました。

■5.建物を揺らして、データをとろう。
伝統構法を合法的なものにすること。そのためには、まず、「どのようなつくりをしたら、どの程度強いのか」ということを解明する必要があります。「親方から教えてもらった技術」を、科学的に検証・証明することが必要になるのです。
そこで、建築学会に呼びかけ、1999年に「『木構造と木造文化の再構築』特別研究委員会」を立ち上げました。各地域の伝統構法の特徴を整理・分類することで構造的な特性を把握すること。さまざまな壁・接合部、あるいは建物そのものが、地震の揺れによってどのようなふるまいをするのか、実験を通して解析すること。そして、伝統構法の耐震性能を正確に評価できる方法を開発すること──。多くの調査や研究が行われましたが、中でも画期的だったのは、伝統構法の建築物を地震と同じように揺らす実大振動台実験でした。
当時、私が所属していた京都大学防災研究所の中につくった振動装置(強震応答実験装置)で、伝統構法の軸組を再現して揺らしたのです。どの程度までの揺れなら耐えられるのか。耐えられなくなったとき、どのような壊れ方をするのか──。実験を繰り返す中で、地震のような大きな力が加わったときには、柱と梁や桁をどう加工して組み合わせるのかといった「構造のディテール」こそが重要になるということもわかりました。

■6.「合法的な」伝統構法へ、目に見える「マニュアル」を。
2000年、耐震性能も含めた性能を規定化する方向へ、建築基準法が改正されました。このことが、伝統構法の「合法化」に道を拓きました。それまでの「仕様規定(材料、構造、寸法などの基準を満たすこと)」に加えて、「性能規定(構造的な安全性を証明すること)」でも建築基準をクリアできることになったのです。
これまでの規定では、耐震性は「壁の量」で計算されていました。しかし、伝統構法の耐震性は「強い壁で耐える」のではなく「軸組が大きく変形しながら地震に耐える」ことにありましたから、この方法では伝統構法の強さを正しく評価することができなかったのです。
「性能規定」が取り入れられたことで、それまでビルやマンションで用いられていた構造計算法である「限界耐力計算」を適用して、伝統構法の耐震性を証明することができるようになりました。それまでの実験データや研究をもとに、2003年にまとめたのが、『伝統構法を生かす木造耐震設計マニュアル』(学芸出版社)です。現行の建築基準法にのっとった「合法的な」伝統構法への第一歩でした。
このマニュアルを使って、かなりの数の伝統構法の木造建築物が建てられました。けれど喜んだのもつかの間、2005年に起こった耐震偽装事件を受けて、2007年、建築基準法の審査が厳格化されました。伝統構法のために開発したこのマニュアルも、ビルやマンションと同じ構造計算法を用いていたことで、それら大規模な建築物と同等の基準が適用されたのです。膨大な書類と長期間にわたる審査、それにかかる費用を、個人の住宅建築で負担することは事実上不可能です。このままでは、普通に暮らすための家を伝統構法で建てることができなくなる。法律の運用面で伝統構法をビルやマンションとは別の扱いにできないか、あるいは法律をクリアする別の手法はないのかなど、行政に働きかける一方で、工務店や設計事務所の人たちとも連携して、新たな方法を探っているところです。

■7.京町家再生への取り組みも。
そうした活動と並行して、京町家の再生にも取り組んでいます。町家を取り壊した後に、もう一度、新しい町家を建築できるように、という取り組みです。
京町家の実大振動台実験も行いました。1棟は昔ながらの伝統的な町家で、現存する町家にどのような耐震補強をすればよいのかを知るための実験。もう1棟は、耐震設計を取り入れて新しく建築した町家で、こうした設計の有効性を検証するためです。間口が狭く奥に長い京町家は、横向き(間口に並行)の揺れに対して弱いという欠点がある。それをどうすれば解決できるか、という研究です。
今残っている町家は、レストランになったり、伝統の建物に憧れる若い人が住んだり、と使い方も変わってきました。構造は残しながら、内部は現代的にリフォームしている例もたくさんあります。ここで大切なのは、京町家という建物が継承されていくこと。伝統構法の建物に合った方法で耐震性を含めた安全性を高めることができれば、伝統的な街並みを維持し、町家での暮らし方を続けながら、都市の防災性を高めることができるのです。
今年のうちには、耐震設計を取り入れた新しい京町家──私たちはこれを「平成の京町家」と呼んでいるのですが──もお目見えする予定です。昭和初期を最後に建てられていなかった京町家の、新たな一歩です。これがひとつの雛形となって、建築方法はもちろん、書類申請の方法などが徐々に普及していけば、と思っています。

■8.伝統木造建築物を活かすための「使える設計法」づくりを。
大災害や社会的要件と、それに伴う法律改正の歴史の中で、伝統構法の建物が新たに建てられる数は著しく減少しました。伝統構法は危機的状況に置かれているといえます。
そこで、国土交通省のプロジェクトでは、確認申請や構造適合性判定での手続きを円滑にするなど当面の課題解決に取り組むとともに、伝統構法に適した新たな設計法をつくる取り組みを始めています。
たとえば、礎石の上に柱を立てる「石場建て」の柱脚が地震のときにどのように動くのか、といった、これまで構造力学的に解明されてこなかった部分に対して実験・解析を行うこと。その妥当性を振動台実験できちんと検証すること。地域によって異なる構法や構造に対応できることも重要です。そして、実践的に「使える設計法」をつくり、伝統構法にかかわる実務者、行政担当者などに普及することを目指しているのです。
私たち日本人には、木の家に住みたい、という思いが根強くあるはずです。伝統的な木造建築物が並ぶ景観を美しいと感じる心もあるでしょう。伝統構法を法律の中に組み入れる取り組みは、誰もが安全な木の家に暮らせるようにすることであり、伝統的な景観を残し、また新たに生み出していくことです。それは、私たちが長い年月をかけて培ってきた木の文化を再生し、将来につなげていくことにほかならないと思っています。


[鈴木祥之]
1944年徳島県生まれ。京都大学大学院工学研究科博士課程修了。同大学防災研究所助手、助教授、教授を経て、2008年より現職。専攻は耐震工学、建築振動論、木構造学。
主な著書に、『木構造と木造文化の再構築を目指して』(日本建築学会、編著)、『木造都市の設計技術』(コロナ社、共著)、『京町家の耐震補強と新しい京町家をつくる』(京町家振動台実験研究会、編著)など。