■第40号(2009.10発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

「環境考古学」
―過去を知る。人と自然の未来が見える。

国際日本文化研究センター教授 安田喜憲(談)


1.かつて、そこには豊かな森があった。
2.森の喪失が文明を滅ぼす。
3.環境考古学とは、過去から現在を見通し、未来を知る学問。
4.過去の気候を、年単位で読み解く。
5.地球は、自分の記録を残している。
6.地球温暖化問題にも、環境考古学の知見が活かされる。
7.森・里・海の連環を復活せよ。
8.たしかな未来は、なつかしい過去にある。



地球温暖化をはじめとする様々な環境問題が顕在化し、地球規模での方策を探している今、注目を集めているのが、「環境考古学」です。環境考古学とは、気候や植生といった過去の環境を科学的手法で調査し、人間の築いてきた文明や歴史的事実との関係を明らかにしていく研究分野。何千年も昔の地層から復元する当時の風景、人々の暮らし――その向こうに見えてくるのは、私たち人間と自然との未来像です。

■1.かつて、そこには豊かな森があった。
ギリシア・ミケーネ遺跡の後ろにそびえるイリアス山。今はまったく木が生えていない禿山です。かつて、ここが豊かな森で覆われていたと想像できる人はいないでしょう。あるいは、巨大な石像「モアイ」で有名なイースター島。やはり今は森の影がないこの島にも、深いヤシの森が広がっていた時代がありました。
そうした昔の様子を知る手がかりは、過去の地層の中にあります。
たとえば、花粉。小さいけれど非常に安定した堅い膜を持っていて、酸素やオゾンの影響を受けにくい湿地や湖底に落ちると、何万年でも形を維持して保存されます。どの年代の地層に、どんな種類の花粉がどのくらいの量あったかがわかれば、当時の森林の様子を再現できるのです。先ほど触れたイリアス山では、ギリシア文明が繁栄している時代にはカシやナラ、マツの深い森があったことがわかりました。
ギリシアが森の国であったこと。それは、よく考えれば当然のことかもしれません。ギリシア文明は地中海の交易で繁栄した文明であり、交易のために必要な木造船を建造するには大量の木材が必要です。また、ギリシアの主要な輸出品であった土器や青銅器を焼き、鋳造するのにも、燃料としての薪が不可欠です。ギリシア文明は、豊富な森の資源に支えられて成立していたのです。

■2.森の喪失が文明を滅ぼす。
ところが、ミケーネの人々は森の木を伐り尽くしてしまった。木がない山の表土は露出し、雨によって流されます。その土はやがて内湾や海、湖などを埋めて湿地にし、その湿地で蚊が発生してマラリアが広がりました(ギリシア文明の末期には、マラリアが風土病だったことが他の資料からもわかっています)。そうしたことが、人々の力を喪失させ、ギリシア文明を崩壊させたのではないか――それが、地層の分析から導いたシナリオです。
一方、イースター島では、人口の急激な増加にともない、建築材や薪、船などの材料として森が破壊されました。ヤシの花粉は1300年前から減少を始め、500年前にはほとんど消滅してしまっているのです。森林の消滅は土壌浸食と土壌の劣化を招き、農耕地での作物の生産は低下。木材の不足で魚を獲る船もつくれません。飢餓から戦争が起こり、モアイを神としてまつった文化は、森の消滅とともに崩壊したのです。

■3.環境考古学とは、過去から現在を見通し、未来を知る学問。
ギリシアとイースター島、この二つの事例には、自然と人間との、ある関係が見えてきます。すなわち、文明が育つ背景には豊かな自然があり、人間がそれを壊せば文明は崩壊する、ということです。
「森がなくなれば文明が崩壊する」「気候変動によって文明が変わる」という私の主張は、かつてはなかなか理解されませんでした。縄文時代や旧石器時代ならいざ知らず、現代のようにハイテクや英知があればそんなことは起こるわけがない、というわけです。ところが、1990年代になると様々な地球環境問題が顕在化し、気候が変化すると生活が変わるということを人々が実感するようになってきました。
自然と人間との間で過去に起こったことは、必ず未来にも起こる、というのが私の考えです。気候の変動、火山の周期的な噴火。そのとき、人間が受ける影響には共通性があるのです。未来を考えるためには、今までの歴史の中の自然と人間の関係を学んでいかなければならない。環境考古学は、「過去から現在を見通し、未来を知る学問」です。だからこそ、地球環境が危機的状況にある今、果たせる役割も大きいと思うのです。

■4.過去の気候を、年単位で読み解く。
「環境考古学」では、過去の地層をボーリングし、そこに含まれる物質から当時の様子を分析するのですが、1991年、福井県の水月湖で調査をしているときに、画期的な発見をしました。それが、「年縞(ねんこう)」です。
年縞とは、白黒の縞状をした地層で、その縞が年単位に積み重なっているもの。見事な縞状の様子から、私が名づけました。
白い層は、春から夏にかけて繁殖する「ケイソウ」という藻によるもの。ケイソウが繁殖しない秋から冬にかけては有機物や粘土の黒色の層ができ、ちょうど縞のようになる。木の年輪と同じように、白黒の組み合わせが1年に1層ずつできるため、その縞の数で年代を特定できるというわけです。
それまで、年代を特定するためには、「放射性炭素同位体年代測定法」が主流でした。これは、「自然界にある放射性炭素の同位体の放射能が、5730年で半減する」という特性を利用した方法です。「放射能がどのくらい減っているか」ということから逆算して年代を決めるのですが、この方法ではどうしても統計上の誤差が出る。その幅は、プラスマイナス20年から50年、つまり前後で40年から100年にもなります。40年は、昔の人にとっては一生の長さです。その間には歴史が大きく変わってしまうこともあるわけで、文明と気候の変動の関係を考える上で、この誤差は大きすぎるのです。
それに比べると、年縞は、縞の数をきちんと数えることさえできれば、年単位(もしくは季節単位)での変動がわかる。これは、正確性という意味において飛躍的な進歩でした。様々な地球環境問題が顕在化している現在の状況を考えるなら、10万年先のこともさることながら、まずは20年先、50年先を予測することが求められている。年縞は、その重要な手がかりとなるのです。

■5.地球は、自分の記録を残している。
年縞に現れる1年の幅は、0.5ミリから1ミリ程度です。まず、これを正確にカウントし、それぞれの層に含まれている化石を分析します。
花粉の化石からは、当時の森の様子がわかります。どの年代にどのような森があったかがわかれば、過去の気候変動を知ることができます。ケイソウの化石は、海面の水位の変動を教えてくれます。酸素や炭素の安定同位体を調べると、過去の気温の変動もわかる。黄砂からは中国の気候の乾燥度合いが、化学成分からは雨の多少が見えてきます。さらに、年縞の乱れを調べることによって、地震や水害の発生と、その周期もわかってきます。
私たちはこれを「ジェオゲノム(geo genome)――地球のDNA」と呼んでいます。人間のDNAと同じようにバーコード状になっていて、そこに様々な情報を保存している。地球は、その年にどんなことがあったか、ちゃんと記録を残しているのです。

■6.地球温暖化問題にも、環境考古学の知見が活かされる。
前述したように、未来を考えるためには、今までの歴史の中の自然と人間の関係を学んでいく必要があります。いま大きな問題になっている地球温暖化に関してもそうです。地球の温度が上がったとき何が起こるか、そのヒントが、過去の地層の中に残されているのです。
実は、かつて、平均気温がいまよりも高い時代が何度かありました。直近では8世紀ごろから始まる中世温暖期と呼ばれる時代です。原因はまだわかっていませんが、急激に地球が温暖化した様子が地層分析によって明らかになっており、当時の地球の平均気温は、現在より1.5度程度高かったと考えられています。
その時代の日本の文献には、京都周辺で風水害や旱魃などの災害が大幅に増えたことが記されているし、アメリカでは、現在の穀倉地帯である中西部で旱魃がおき、ナバホ族というアメリカ先住民が巨大な集落を放棄したということがわかっています。同じ地域では、現在も同様のことが起こりうる、ということです。
ただ、人間は、1.5度という気温上昇には耐えられた。それも事実です。現在の地球温暖化対策でも、気温上昇を2度以内におさめなければならない、という根拠はそこにあります。
一方で、この中世温暖期にヨーロッパでは大開墾時代を迎えました。北へ北へと開墾が進み、人が住む範囲はアイスランドやグリーンランドにも広がりました。つまり、寒い地域に住む人たちにとっては、居住空間が増え、作物の栽培前線も北上するという意味で、悪いことではなかった、という考え方も成り立つわけです。今も、地球温暖化への対策は各国の足並みがそろっていませんが、局所的に見れば、ある地域は災害が増え、ある地域は恩恵を受ける、ということも事実です。
けれど、さらに気温があがるとどうなるでしょうか。地球の平均気温が3.5度上昇すれば、グリーンランドの氷が溶けるといわれています。そうすると、水の温度差によって起こっている海水の大循環が止まる可能性がある。琵琶湖でも、近年、冬に水温が下がらないことで水が循環せず、ヘドロが増えるなどの水質悪化が問題になっていますが、そういうことが地球規模で起こるわけです。
地球温暖化に対する取り組みは急務ですが、現実にはなかなか進んでいません。しかし、過去にどの地域でどのような気候変動があったのかということを年単位で明らかにし、それによって文明が受けた影響について誰もが納得できるような証明ができたら、状況は変えられるのではないかと思っています。人々の地球に対する見方、歴史に対する見方、生命観や世界観を変えられるのではないかと思っています。

■7.森・里・海の連環を復活せよ。
青森県にある三内丸山遺跡。1994年からの調査の中で、私が行った花粉分析の結果、クリの花粉が90%以上を占めていることがわかりました。これは、自然の状態ではありえない割合の高さで、このことから、縄文人はすでにクリを栽培し、利用していたと考えられるのです。海から取れる魚介類をタンパク源にしながら、ドングリやクリを主食に、山菜をとったり狩りをしたりと、森を核とした循環の中で文明を築いてきたのです。
以来、日本人は長い間、稲作と漁労を中心として暮らしてきました。これも、森からつながる水の循環を破壊しては維持できない文明です。山に降った雨は森を育て、森から流れ出る水は田畑をうるおし、飲み水を提供し、川となって海に流出する。海に流出した水は魚を育て、再び蒸発して雲をつくり雨となって、同じ循環を繰り返すのです。
ところが、こうした循環は、大きく変わってしまいました。
森に関して言えば、日本の山々では天然林を伐ってスギを植えてきました。それによって、たとえば東北地方では、多くのブナの天然林が破壊されました。その上、経済的理由から必要な間伐もできない状態が続き、森は弱っています。さらに言えば、日本人が日本の森に無関心でいる間に、海外資本が日本の水源林を買い付けているという事実もあるのです。20世紀、貴重な資源はレアメタルなどでしたが、21世紀は水だ、というわけです。
これからの地球は、限られた資源の中でかつて経験したことのない数の人間が暮らしていくことになります。人と自然がいかに共存していくか、「発展」ではなく、よい状態を「維持」していくか、ということが重要になると思います。そう考えるとき、かつての日本の地域社会のコミュニティが、いかにすぐれたものであったかがよくわかります。水を中心に森・里・海が連環することで、人と自然が永続的に共存できるシステムだったのです。

■8.たしかな未来は、なつかしい過去にある。
自分たちの未来を考えるとき、ヨーロッパの人たちは、まず未来像を想定し、「20年後にこうなるので、今からこういう対策をしよう」と考えます(これを「バックキャスティング」といいます)。地球環境問題に取り組むときも同じです。
けれど、私たち日本人は、無理に未来像を想定する必要はありません。なぜなら、ほんの40年前の日本には、自然と人間の美しい関係があったからです。私たちは、過去にそういうモデルを持っていて、それを取り戻す努力をすればいいからです。
40年前の日本。それは、あたりまえにコウノトリが飛び交う世界です。もちろん、生活のすべてを40年前に戻すことはできませんから、そこは現代の技術をつぎ込んで、ある程度の快適さを保つ。そして、今の生活の延長線上に、東京の空をコウノトリが飛ぶ世界、新宿の水辺にホタルが飛ぶ世界を復活できれば、すばらしいと思うのです。
「たしかな未来は、なつかしい過去にある」――それは、環境考古学の研究を通して私が実感していることです。未来を考えるときのヒントは、かならず過去にある。環境考古学の知見を活かしながら、私たちの未来に、もう一度自然と人間の美しい関係を築きたいと思っています。


[安田喜憲]
1946年三重県生まれ。東北大学大学院理学研究科博士課程退学。理学博士。専攻は環境考古学。広島大学総合科学部助手を経て現職。京都大学大学院理学研究科教授、フンボルト大学客員教授などを歴任。スウェーデン王立科学アカデミー会員。
主な著書に『環境考古学事始』(洋泉社)、『森のこころと文明』(日本放送出版協会)『森を守る文明・支配する文明』(PHP新書)『世界史のなかの縄文文化』(雄山閣出版)『東西文明の風土』(朝倉書店)など。