■第38号(2008.10発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

「文化財と結ぶ森へ、未来と結ぶ森へ。」

文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議
                        事務局長 足本裕子(談)



1.200年後、文化財修復のピークがやってくる。
2.日本の森に、求める材はあるのか。
3.繰り返す相続が、森を変えていく。
4.檜皮葺きの屋根にも、危機が。
5.「山」と「文化財」の間に、コミュニケーションを。
6.社寺の森づくりの可能性。
7.日本中の山に、「文化」を育てたい。



豊かな森林資源に恵まれ、「木の文化」を誇ってきた日本。神社やお寺などの木造建築の数は、国宝・重要文化財だけで4000棟にものぼります。けれど、それら伝統的な木造建築は、いま、ある危機を迎えているといいます。その現状の向こうには、木材の供給、森林経営の問題も見えてきます。将来に向けて、今何をすべきなのか、考えてみたいと思います。

■1.200年後、文化財修復のピークがやってくる。
足を踏み入れると、ほっとする。眺めているだけで心が癒され、新しい元気をもらえる――神社やお寺を訪れて、そんな思いを抱く人は多いでしょう。地域の小さなお堂も、国宝の神社やお寺も、人々に心のよりどころをもたらしながら、何十年、何百年、ときには千年以上も、大切に守られてきたのです。
こうした伝統的な木造建築は、定期的な修理を繰り返すことで、その姿を保っています。部分的な補修などの小さな修理は数十年に一度、その間に、もっと短い周期で屋根の修理や葺き替えなどが行われます。そして、300年に一度は、解体して傷んだ材を取り替えるなどの大規模な修理が必要になります。世界最古の木造建築と言われる法隆寺でも、その時々に必要な修理を経ながら今につながっているのです。廻廊の柱を見るだけでも様々な年代の木が混じっていることがわかるし、雨があたる根元の部分など、傷んだ箇所だけを別の新材に取り替える「根継ぎ」をしたものもたくさん見られます。
当然のことながら、そうした修理には新たな木材が必要です。文化財といわれるような建築物に使われているのは、ヒノキやスギ、マツのほか、ヒバやツガ、クリやケヤキなどの様々な樹種で、しかも年輪幅の狭い200〜300年生という、非常に質の高い材です。
かつて、そうした材の多くは、各地の森林(天然林)から得ていました。けれど、戦中の木材供出や戦後の木材需要拡大に伴う伐採で大径木や天然林が減少し、やがて環境の観点からの保護の動きが高まったこともあって、天然林から材を得ることは難しくなりました。鎮守の森では、修復に使えそうな大木はたいてい注連縄をはられたご神木になっており、民間の森では200年もの時間をかけて高齢木を育てる環境が整わなくなっています(理由については後述します)。最近行われた唐招提寺の大修理や平城宮大極殿の復元工事などでも、国内では大径木が手に入りにくくなってきた、という声が聞かれました。
いま、国宝・重要文化財などの木造建築は明治時代に始まった大修理がほぼ一巡し、次の大修理のピークは200年後と言われています。今すでに入手が難しいといわれる補修用材は、そのとき十分にあるのだろうか。もしなかったら、日本中の文化財はどうなってしまうのだろうか――そんな危機感を抱いて2002年に立ち上げたのが『文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議(以下、有識者会議)』です。

■2.日本の森に、求める材はあるのか。
『有識者会議』は、その名のとおり、様々な分野の専門家の方たちの参加を得ています。堂宮大工(「宮大工」の正式名です)の方々、寺社の関係者、林業家、林学や哲学、建築の研究者など、それぞれの立場から、現状の課題とその解決方法を議論してきました。
文化財の修復が将来にわたってスムーズに行われるためには、どんな材がどのくらいの量必要なのか。現在の日本の森にはどのくらいの供給力があるのか。将来に向けてどんな森づくりをすればよいのか。流通・加工分野にも様々な問題点があります。木を見る目利きが少なくなって来たこと。業界全体としての仕事量が減ったために良材を扱う業者も減ってしまい、その結果、流通在庫(木材のストック)や人的在庫(人材)が減ってきたこと。大径木を、その特長を把握しながら的確に無駄なく製材できる実力ある製材工場も減っていることなど。さらに、育林技術、建築の技術者養成という課題、文化財の現場での単年度会計の弊害まで、『有識者会議』での検討項目は多岐にわたります。
その中でも、専門の研究者たちによる「木造建造物文化財の為の木材及び植物性資源確保に関する研究(代表 山本博一 東大教授)」グループとの協力関係は、大きな意味を持っています。
たとえば、国宝・重要文化財の過去の修理事業のデータから使用木材の樹種や量を把握したり、様々な文化財に使われている部材の樹種やサイズを調査し、今後の修復に必要な材の量や質を割り出したり。その結果、修理事業では、過去25年間の平均で年5000m3余りと量は多くないもののの、無節・上小節といった極めて高品質の材が求められていることがわかりました。たとえば法隆寺・金堂の扉板(幅102cm)をとるには、最低でも胸直径185〜200cmの巨大な立木が必要であることも。しかも、木材は天然素材ですから、伐って製材してみなければ品質がわからない。つまり、1本の材をとるためにはその何倍もの候補となる丸太が、そして、その丸太をとるためにはさらに何倍もの候補となる立木が必要なのです。
どんな樹種でもいいというわけではありません。文化財の修復は、「オーセンティシティー(文化財の真正性)の原則」といって、取り替える材は元の材と「同樹種」「同品質」で、「同技術」で加工されることが望ましいとされています。現在、私たちが目にする木造建築も、ヒノキの部分はヒノキで、スギの部分はスギで、元の姿に忠実に修復しながら、何百年間も大切に維持されてきたのです。その原則を守ろうとすれば、かつて豊富な材の中から選びぬかれた質の高い大径木と同等の材を確保しなければなりません。しかもその樹種は、調査した範囲だけでも21種にものぼるのです。
たしかに、国や自治体では、文化財のための材を確保しようという動きもあります。国有林野事業では「文化財資源備蓄林」や「世界遺産貢献の森林」を設定し、文化庁では緊急を要する修復などに対応するための「ふるさと文化財の森構想事業」に着手しました。
しかし、100年、200年という長い年月の間には、不確実な要素も多い。需要量の何倍もの森林が必要であることを考えると、私有林も含めて国全体で森づくりを考える必要があるはずです。

■3.繰り返す相続が、森を変えていく。
けれど、私有林で100年、200年という超長伐期の木を育てるには、様々な障壁があります。最たるものが、相続税の問題です。
山林を相続して相続税が発生した時、家や土地を手放したくなければ、山にある木を価値のあるものから――つまり、大径木から――売っていくしかありません。また、資産価値が高く評価される都市近郊の森林では、何千万、何億という相続税が課せられる場合もあります。山そのものを売らざるを得ないケースも多く、結果として、産業廃棄物処理場など、他の用途に変わってしまう山林も少なくありません。しかも、立木は樹齢が高いものほど資産価値も高く評価されてしまいます。100年、200年という高齢木を維持できない仕組みができてしまっているのです。
相続が原因で山が荒れてしまう場合もあります。子世代に均等に分ける現行法では、林業に興味のない人にも山が遺され、相続しただけで放置されたり、売却されたりする森が跡をたたないのです。森林が分割され面積が狭くなれば、効率的な施業ができず、手入れにも材を出すのにも費用がかさみ、ますます林業経営を圧迫する結果となります。
1代を30年として、これからの200年に6、7回も相続が繰り返されれば、森の姿はどうなってしまうのでしょうか。農業には、相続した人が農業を続ける前提で相続税が猶予されるという税制上の措置があります。同じことが、なぜ林業ではできないのか、非常に歯がゆい想いがあります。

■4.檜皮葺きの屋根にも、危機が。
木材と並んで、確保するのが難しいものに、屋根材であるヒノキの皮ヒワダ(檜皮)があります。
意外に知られていないのですが、檜皮は、70〜80年生以上のヒノキからしか採ることができません。しかも最初に剥いた皮は「アラカワ」といって使うことができず、檜皮葺きの材料になる「クロカワ」が採れるのは、その10年後、という気の長い作業です。
檜皮葺きの建物は、重要文化財だけで約800棟(平成19年度現在)あり、それを維持するためには年間で約3500m2の檜皮が必要だと言われています。1m2葺くために約10本のヒノキが必要だとして、3万5000本。10年間は同じ木から次の檜皮を採れないことを考えれば、その10倍の35万本の高齢木のヒノキが常時必要だということになります。重要文化財以外にもたくさんの社寺があることを考えれば、ここにも長期的視野が必要であることがわかると思います。
しかし、檜皮に関しても、これまでは体系だった方針はありませんでした。
檜皮を採る仕事が、まったくの個人の技術で営まれている仕事だったためです。檜皮を採る人(原皮師(もとかわし)といいます)は、よい檜皮を採れるヒノキがどこにあるのか誰にも教えないというような、秘密主義の伝統の中で仕事をしてきました。高齢化が進み、後継者も育たず、一時は全国に8人とも10人ともいわれるほど減ってしまいました。
また、立木に竹の「へら」をあて、皮一枚残してはぎとるという採取方法のため、森林所有の中には材にキズがつくことを恐れて嫌がる人もいます。檜皮の供給は、原皮師と森林所有者との個人的な信頼関係に支えられてきた面があるのです。もちろん、前途したように、ヒノキの高齢木そのものが減ってしまっている現状もあります。
檜皮の不足から、檜皮葺きを諦めて銅葺きに変える建物も少なくありません。そのために湿度の調節ができにくくなり、襖絵が傷んでしまうような弊害も起こっています。

■5.「山」と「文化財」の間に、コミュニケーションを。
国内の修復用材が入手しにくいことの影響は、海外へも飛び火しています。
アラスカでは、近年、樹齢数百年から千年というような天然林が大量に伐採されており、その60%が日本向けで、社寺の建築や修復に使われているというのです。容赦ない皆伐によって、40万haともいわれる森林が消失したといわれています。
アラスカで天然林が伐採される背景には、アメリカ政府と先住民の間の複雑な関係があります。先住民の人たちが自分たちの森の資源を利用することに第三者が反対する権利はありませんが、環境団体などの働きかけで、森林認証を取得した、持続可能な経営を行っている森林からの材だけを流通させるよう、徐々に方向転換もはかられてきました。
しかし、より大きな問題だと思うのは、その木材を使って社寺を建てた人が、木の由来をまったく知ろうとしていないことです。アラスカの人々が祈りの対象にしていた崇高な木を伐って、それを日本の祈りの建物に使う。こんなに矛盾したことがあるでしょうか。
こういうことが起こるのも、木を育てる側(山の側)と、使う側(文化財の側)との乖離、コミュニケーション不足が背景にあると思えてなりません。山の側は、文化財の側が、どんな材をどれだけ求めているかということを知らないでいる。文化財の側も、そうした必要な材を出すために、山の側にどれだけの努力が必要なのか知らないでいる。
かつて、日本人は、伐るときも祈り、建てるときも祈りって、1本1本の木を使ってきました。それは人間を超えた存在としての木への畏れでもあり、豊かな森への感謝でもあったのでしょう。その想い(精神性)を共有しながら建物を建て、世代を超えて守り続けてきたのだと思うのです。だからこそ、ひとつひとつの材に意味がある。単なる「建築の素材」として業者が持ってくるものではないはずなのです。

■6.社寺の森づくりの可能性。
伊勢神宮は、20年に1回、「式年遷宮」を行います。そして古い社殿の材も使いながら20年の間に125ある社のすべてを建て替えるのです。そのためには、1万m3ものヒノキの用材が必要になるのですが、伊勢神宮では、そのための森を育てています。
もともと伊勢神宮は、周囲に所有している広大な宮域林から遷宮の用材を得ていました。けれど、江戸時代に伊勢参りが盛んになると、薪材などとして木材が切り出され、遷宮用材が枯渇してしまいます。以来、木曾谷などから求めていたのですが、大正末期に、再び宮域林から用材を供給できるよう200年計画でヒノキの植林を始めました。最初に植えた木は、もう80年近く育っていますが、大径材の候補の木には、ペンキで印がつけてあります。100年先、200年先に伐る木がもう決まっている、言い換えれば、100年先、200年先まで育て続ける木が決っているのです。
伊勢神宮で見た忘れられない光景があります。案内して下さった営林部の方が、社の前で立ち止まって、それまで抱えていた上着を着て深々と礼をされたのです。神様のために、着を守り育てるということが、しっかりと根付いている――私まで厳かな気持ちになりました。
伊勢神宮は20年に1回の建て替えがもう1200年以上も繰り返されてきたわけですから、森を育てる人から大工さんまで、その仕事がひとつの循環をつくっているという意味で、特殊な例ではあります。けれど、その中に、文化財と森づくりとの理想的な関係があると思うのです。
もちろん、日本中の社寺が伊勢神宮のように森林を持てるわけではありません。いま、文化財の修復をするときには、あらかじめ定められた割合で、国や県、市町村と、その所有者が費用を分担します。仮に社寺が修復用の森を持って、そこから用材を出しても、全体額が安くなるだけでお寺の負担額が大きく減るわけではありません。森林を育てる経費も補填されません。そのあたりの仕組みを変えることができなければ、社寺が自らの森を育てることは、経済的な面でも容易なことではないのです。けれど、社寺と森林とを結びつけ、文化財のための森づくりを促す事ができれば――。それは緊急の課題だと思うのです。

■7.日本中の山に、「文化」を育てたい。
新しい動きは、少しずつ始まっています。
たとえば、「檜皮採取の研修制度」は、檜皮を葺く職人さんたちが檜皮採取の技術を習得するための、画期的な試みです。文化庁や社団法人全国社寺等屋根工事技術保存会、そして原皮師の方々が、檜皮が枯渇し技術が廃れるという危機感を共有し、協力することで実現しました。それまで個人の知識と経験の中で守ってきた原皮師の技術を広く公開し、全国の山を巡って研修を行っています。
同時に、先にふれた研究者グループでは、檜皮の採取が材に与える影響についての調査研究も行っています。いくつかの大学の演習林で、檜皮を採った木と採らない木、それぞれを一定期間ごとに伐採して、材の状態を調べているのです。材に大きな影響が出ないことに科学的な裏づけが得られれば、森林所有者の人たちの理解も得やすくなっていくでしょう。
私たち『有識者会議』も、新たな働きかけを行っています。「私の山に文化財の森を―『文化材』創造プロジェクト―」です。全国の森林所有者に呼びかけ、長伐期施業を目指している森林の中に「文化財の森」を設定してもらう、そして、将来の文化財補修用材を提供する森として登録してもらおうという試みです。
それは、同時に、地域の社寺と地域の森を結びつける試みでもあります。
神社やお寺では、100年先、200年先に修復の時期が来ることはわかっているけれど、まだ先のことだと思っている。森林の側は、林業の経営もままならない状態で、その苦しい現状を変えることができずにいる。
たとえば、「悪くなった寺の柱を修理したい」と相談する住職に、「私の山のこの木を使って下さい」と、檀家や地域の森林所有者が提案する――もっと発展して地元で育った大きな木を大勢の市民で寄進する。そんなコミュニケーションができれば、そして、それが広がっていけば、山と社寺、地域の人々の間に、もういちどコミュニティが形づくられるのではないでしょうか。
今のところ、具体的なメリットについては未知数です。けれど、森林所有者の中からも、趣旨に賛同し、前向きに協力してくれる人たちが、100人、200人と集まれば、そして、一般の市民も巻き込んだひとつの運動になれば、今の不利な法律や税制も変えていけるかもしれない。
想像してみてください。樹齢200年の森が日本のあちこちにある風景を。その材を使って、親しんだ神社やお寺が健やかに保たれる様子を。日本が世界に誇る木の文化が、その精神性とともに未来まで大切に守り続けるように、文化財と森を結び、たくさんの人を結ぶ活動は続きます。


[足本裕子]
福岡県生まれ。大学では古代史を専攻。後に建築事務所勤務。2級建築士。事務局長として「NPO法人JUON(樹恩)NETWORK」の立ち上げに関わり、現在は常任理事。2002年「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」発足、事務局長となる。森林ボランティア団体「森林を楽しむ会」の代表も。

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