■第35号(2007.4発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

鎮守の森
―日本の原風景に、人と森の未来を探る。

岐阜大学名誉教授/日本社叢学会 副理事長 林 進(談)


1.「村祭り」が描く、日本の風景。
2.そして、神様は村に降りてくる。
3.畏れる森、親しむ森。
4.受け継いできたのは、「守り育てる仕組み」。
5.遠ざかる鎮守の森。薄れる自然とのつながり。
6.もういちど、森を通して感じるものへ。
7.林業にも「仕組み」を取り戻そう。
8.人と森との、新しい関係へ。



季節の祭りに、地域の人々が集う神社やお寺。そこに必ずあるのが、「鎮守の森(社叢)」です。日本の原風景ともいうべき鎮守の森には、森林国ならではの独特の森への関わり方がありました。その歴史をひもときながら、日本人と森林のこれからの関係、そして、林業の将来の姿を考えます。

■1.「村祭り」が描く、日本の風景。
「村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭り日・・・」――唱歌『村祭り』の冒頭部分です。
「鎮守の神様」とは、その地域をつかさどり、守ってくれる神様のことです。人々は、鎮守の神様にお参りすることで一日を始め、様々な祭りを催して豊作を祈願し、地域の安全を願いました。季節の移り変わりも、人生の節目も、鎮守の神様とかかわりながら体験していたといってもよいでしょう。そこは、暮らしのごく身近にある「祈りの場」でした。
立派な社殿や鳥居が建っているとは限りません。けれど、森は必ずありました。
なぜなら、森そのものが信仰の対象だったからです。

■2.そして、神様は村に降りてくる。。
日本人は古代から、「八百万の神」というように、あらゆる物の内に神がいる(宿る)と感じていました。特に、人の力の及ばない高い場所や、巨大なものに神様が降りてくるという考え方があって、高い山や巨木などはそれ自体が信仰の対象でした。奈良県の大神神社は三輪山という山そのものが神体ですし、沖縄地方で「ウタキ(御嶽)」と呼ばれる森は、森自体が、人が足を踏み入れてはいけない神聖な場所として守られています。
唱歌に出てきた「鎮守の神様」がいるのも、ですから、地域でいちばん高い山です。日本の場合、「山」とはすなわち「森」ですから、鎮守の神様は身近な風景の中でいちばん高い山の、深い森の奥にいるものと考えられていたのです。
興味深いのは、その山にいる神様が、ときどき里に降りてくると考えられていたことです。
山から里に降りてくる神様を迎えるためには、里にも高い木のある場所が必要です。そこで人々は、集落の中の小高い場所に木を植え、森を育てました。これが「鎮守の森」です。そこは、鎮守の神様が訪れる神聖な場所であり、この森が元気であれば神様は来てくれるが、森が滅ぶようなことがあれば神様が訪れなくなり、地域を守ってくれなくなる。だから、みんなで協力して世話をし、大切に守り育てたのです。

■3.畏れる森、親しむ森。
木に神性を感じたのは、もちろん、日本だけではありません
たとえば、キリスト教の十字架は「The TREE」、まさに木そのものです。北欧ではトリネコ、ソコットランドでは深いオークの森、シリアではレバノン杉・・・というように、特定の樹種に崇高な力を見出す例も数多くあります。木の高さや大きさ、何百年と続く生命力、そして森の奥深さ――それらに対して感じる畏れや崇拝の念は、人間の根源的な勘定だったのでしょう。
日本人の鎮守の森に対する想いも、こうした根源的な崇拝の念の表れです。ただ、そこには「畏れ」と同時に、「親しみ」の気持ちもあったように思います。
人が入ることのできないような自然の高い山や深い森とは違い、鎮守の森は自分たちがつくり、守り育てる森です。たとえば年中行事の中で、あるいは日々の手入れを通して、いつも暮らしのそばにある森です。神様のいる場所としての根源的な畏れの気持ちと、「鎮守さま」「氏神さま」と呼んで身近に親しむ気持ちが、暮らしの中に一体となってある――それが、日本人と鎮守の森との独特の関係だったのです。

■4.受け継いできたのは、「守り育てる仕組み」。
前途したように、鎮守の森は、いつでも健全な状態に保たれていなければなりません。みだりに入ってはいけないけれど、間伐をしたり弱った木を伐るなどといった必要な手入れは、地域で行うのが原則でした。
そうした手入れの結果、鎮守の森から出た材や薪などは、神様の祭りのために使うのが基本です。たとえば、枝打ちや下刈りで生まれた薪は、1年間ストックしておいて新年を迎える祭りに使います。燃え盛る薪で暖をとるのは、神様の前だからできる特別なこと。その贅沢もまた神の恵み、というわけです。社殿などを建て替える材も鎮守の森でまかないますし、屋根を葺く桧皮も、鎮守の森から産出します。
鎮守の森に関することは、豊作や安全を祈る祭りの儀式はもとより、どう世話をし、どう利用するかということも、すべてが地域の決まりごとでした。人々は、苗木や費用を寄進するのではなく、自ら木を植えて育てるという「行為」によって信仰を表わしたのです。それは、結果として森を健全に保つだけでなく、地域の中に「森を守り育てていく仕組み」を生みました。世代から世代へと、その仕組みを受け継ぐことで、持続的に鎮守の森を維持していくことが可能になったのです。

■5.遠ざかる鎮守の森。薄れる自然とのつながり。
こうして人々の暮らしと深くかかわってきた鎮守の森は、現在、どのような状況にあるのでしょうか。
たとえば、奈良の春日大社の森のように、比較的環境が保たれ、信仰の場としてはもちろん、生物学的に貴重な研究の場になっている場合もありますし。しかし、小さな「村の鎮守の森」の中には危機にさらされているものも少なくありません。敷地ぎりぎりまで住宅地が迫っていたり、切り売りされて幼稚園や駐車場に姿を変えてしまったり。開発で水脈が断たれ、疲弊している森もあります。
こうした状況の背景には、日本人と鎮守の森の関係の大きな変化があります。
神社やお寺は、いまや、何か特別な機会――初詣とか七五三とか――に訪れる場所です。目指すは、社殿やご本尊(仏像)であり、鎮守の森は、そこの備わっているひとつの「景観」でしかなくなりました。建物の背後に、必要最小限に木が繁っていれば事足りる、というわけです。
ごく一部の地域を除けば、鎮守の森の管理や手入れは、神社の神職の人たちや氏子の人たち(寺なら檀家の人たち)が行っています。地域の人が総出かかわる「仕組み」は希薄になり、森は、日本人の生活の中からすっかり遠ざかってしまったのです。
過去100年ほどの間に、日本では急激に都市化が進みました。地域の歴史的背景を重んじることなく開発し、たとえば道路を通すにしても、森を守って迂回するより効率よくまっすぐ通すことのほうを大事にした。その場所を破壊すると地域にとって不幸なことが起こるという、タブーの発想もなくなっています。鎮守の森の多くは水の湧き出す場所であり、出水などの危険が発生する所でもあったのですが、そんなものはコンクリートで固めてしまえば問題ないと考える。自然現象に対する畏れの気持ちも薄れてしまって、すべては技術で押さえ込みができると錯覚しているのです。「なぜそこに神社があるのか」ということをはじめとして、ひとつの地域を構成するもの、ひとつの風景を形作っていたもの、そのすべてに意味があったのに、それが忘れられようとしています。
挙句の果てに神社も移転させろ、というようなことになったとき、人は、自らふるさとを、そして、ふるさとにつながる人の心を壊すことになる――そう思えてなりません。

■6.もういちど、森を通して感じるものへ。
鎮守の森というと、特定の宗教と結びつくイメージがあるかもしれません。けれど、鎮守の森に対する本来の信仰心は、人の力の及ばないものへの畏れや崇拝というような、大変根源的なものです。その意味では、人が身近な祈りの場としてきたすべての森が「鎮守の森」であるといってよいでしょう。神社か寺か、ということも、本来はあまり重要ではないのです。森の入口に小さな祠があるだけ、というような鎮守の森を見れば、日本人が「神」を「森」という自然を通じて感じ取ってきたことが、よくわかります。
その仕組みに、特定の宗教の形や考え方があてはめられ、また、政治プロセスの中に取り込まれていった経緯は否定できません。政治に取りこまれるとき、「何かと敬う心」というのは非常に便利な道具になってしまう。これは、洋の東西を問わずあることです。しかし、だからといって本質を――根源的な信仰心の存在を――見失ってしまってはいけないと思うのです。
砂漠の民が、なぜキリストを必要としたのか。見渡すかぎり砂というおそろしい砂漠の世界で、何かに頼りたい気持ちがあったからです。台風があり地震があり火山も噴火する日本でも、自然の中で自分たちを守ってくれる存在を欲したのです。
かつては密接につながっていた日本人と森。その関係が希薄になると同時に、自然な感性や、根源的な信仰心をも失いかけているのが現代の日本人かもしれません。
それを修復する場所として大切な役割を担うのもまた、鎮守の森だと思うのです。

■7.林業にも「仕組み」を取り戻そう。
鎮守の森との間にあった日本人と森林との関係を見つめなおすことは、不振にあえぐ林業のこれからを考えることにもつながります。ひとつには、鎮守の森の「仕組み」が、日本の林業に通じるからです。
鎮守の森から生まれたものは、間伐材であろうと、小さな枝であろうと決して無駄にはせず、ありがたいものとして徹底的に使い尽くしたわけですが、同じことは日本の林業でも行われていました(たとえば、吉野林業では、スギの葉でさえ線香に加工して利用していました)。「神様の森」への畏れと敬いの心は、林業においてもひとつの倫理観となって、木を育て、利用し尽くす仕組みを支えていたことでしょう。
立っている木1本を、どうやって使い尽くすか――。それが、日本の林業の原点だったとすれば、現在も主流である「立米単価」で木を見るようになったとき、そこに、現在の不振につながる大きな転換点があったように思います。本来は、使い方によって、1本1本価値も単価も違ってくるはずなのに、それを見極めることをやめてしまったのですから。
林業は、いまだに柱材を主流とした素材産業である場合が多い。けれど、そこから脱却して、最終的な製品をつくる産業として競争すべきだと思っています。1本1本の木を見れば、ふたつと同じものはできません。「だから工業製品に負けるんだ」という人もいるけれど、私は、だからこそ勝てると思っている。新潟県の林業家は、根曲がりの杉材を利用して、「この材だからできる製品」をつくっています。そこでしか買えないものになるからこそ、評価されるのです。
そこで大事になるのは、地域ブランドです。他の製品と、他の林業家と、どう差別化するか、ということです。そのためには、産地証明をして製品の価値を高めることも大切でしょう。生産者が誇りを持ってブランドを名乗ってこそ、責任を持った製品づくりも可能になります。
大切なのは、立木1本の価格を最高に導いていくというような考え方です。「ありがたく使い尽くす」ということは、売買の関係に置き換えれば「いちばん高いところに売ること」とも言えるからです。
そのためには、山で木を育てている人も、その木が最後にどう使われるかをわかっていることが必要になります。木を見たときに、そこからどんな製品が生まれるのか、全部頭に浮かんでくるようでなければいけません。消費の末端に至るまでの市場の動向、情報も把握していなければならないでしょう。これまでの流通の仕組みでは、すぐ次の段階までしか見えない。これでは、状況を変えることはできません。大切なのは、「林業を守る」ことではありません。鎮守の森がそうであったように、林業や木材産業を持続させる「仕組みをつくり、守る」ことです。
想像してみてください。これから将来、中国やインドといった国がますます経済発展し、たくさんの木材を必要としたとき、豊富に蓄積している日本の山の木は、多少価格が高くても売れるかもしれません。今のままだと、高く売れるなら、それっとばかりに全体を見ずにどんどん木を伐り、無理な植林をし――かつての失敗を再び繰り返してしまうのではないか、私はそう思っています。
林業は、長い時間がかかる産業です。だからこそ、今のうちにもう一度、森を守り育てる仕組みを構築し、その仕組みごと守っていくシステムを組み立てておくことが急務です。木の文化を持つ国として、いま、始めなくてはならない仕事だと思います。

■8.人と森との、新しい関係へ。
森との密接な関係を取り戻すこと――それは、林業に携わる人たちだけの問題ではありません。森を元気な状態保つには、木を利用する側に人たちも、「森を守り育てる仕組み」に参加することが必要だからです。
2005年に開催された「愛・地球博」では、私が副理事を勤める「NPO法人社叢学会」も展示を行いました。日本の本来の森を再現した「千年の森」と、海上のどこからでも見えるパビリオンの頂上に本物の木を植えた「天空鎮守の森」です。
鎮守の森は、集落の中の小高い場所にあって、地域のどこからでも見えるシンボルでした。都会のビルの中で、それを再現したのです。「決して近づけない場所があることで、かえって気持ちが安らいだ」――訪れた人たちからは、そんな感想が聞かれました。近代的な建物の中に絶対的な高みがあり、そこに木が茂っている。そのことが、畏れとも憧れともつかない、根源的な感覚を呼び覚ましたのでしょう。
地域に残っている鎮守の森もまた、同様の役割を果たすのではないでしょうか。
まず、身近にある鎮守の森に出かけてみる。できれば、森の手入れを手伝ってみる。それは、生活の中に、もう一度森との関わりを取り戻す第一歩です。そこになぜ鎮守の森があるのか、その意味を知ることも大切でしょう(それをきちんと伝えられる人も必要です。社叢学会では「社叢インストラクター養成講座」を開いて、そうした役割の人を育てようとしています)。子どもたちが森と出会い、森を体験する場所としてもふさわしいと思います。
日本は、みずみずしい森に囲まれています。そのことがどれだけすばらしく、幸せなことなのか、私たちは、もう一度じっくりと考えてみる必要があると思います。山から平野を通って海につづく、風景における凸凹感。豊かな線。それらは、日本人の原風景として、ふるさとの感覚として、私たちの中に必ず存在するものです。いちばん身近にある森――鎮守の森――を通して、もう一度、人と森との豊かな関係を築いていけることを願っています。


[林 進]
1940年和歌山県生まれ。京都大学農学部林学科卒。同大修士課程修了。農学博士。岐阜大学教授を経て現職。専門は環境保全、林学、生物資源科学など。樹木医学者でもある。
主な著書に、『地域活性化と地域経営』(共著、学陽書房)、『森林―日本文化としての』(共著、地人書館)、『バイカル湖』(共著、東大出版会)、『森の心 森の智恵』(学陽書房)、『Q&A 里山林ハンドブック』(日本林業調査会)など。