■第34号(2006.10発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

木造建築が再生する日本
―安心と安全と、未来のために―

京都大学院 地球環境学堂 教授 小林正美(談)


1.震度7にも耐える、木製の「あばら骨」。
2.お手本は、木が本来持つ「粘り強さ」。
3.新しい日本の木造建築を。を
4.スギの間伐材に、活躍の場を。
5.傷ついた人のために、「木の家」ができること。
6.木造建築は弱いのか。
7.「木製都市」の防災システム。
8.誰もが、安心で安全な木の家を建てられるように。
9.木の家に暮らす、日本の文化を継承したい。



京都大学のキャンパスに、2棟の木造建築があります。四角い箱のようなこの建物、名づけて「j・Pod(ジェイ・ポッド)」。主な材料は、スギの間伐材。太い柱や梁は一本も見当たらないのに、極めて高い耐震性を持つといいます。構造にも、素材にも、そして性能にも、まったく新しい可能性を持つこの木造建築、兵庫県の県営住宅への採用をはじめ、実用化の動きも活発化してきました。日本の木造住宅の常識を覆す、新しい試みに迫ります。

■1.震度7にも耐える、木製の「あばら骨」。
木でできた不思議な「箱」――j・Podを外から眺めると、そんな風に見えるかもしれません。構造は、実にシンプルです。まず、縦2.7メートル、横3.6メートルのロの字型の木の枠を7本、約45センチ間隔で並べます(四角いあばら骨(rib)が並んでいるような構造になるため、この木の枠を「リブフレーム(ribframe)」と名づけています)。そこに壁や床、天井を貼れば完成。これが、j・Podの最小単位、約6畳の広さを持つ基本ユニットです。
「j・Pod」という名前を聞いて、建物を思い浮かべる人は少ないでしょう。「Pod」とは、もともとエンドウマメのさやを指す英語で、転じて「区画された小さなスペース」という意味。「j」は、ユニットを連結していくことを表す「joint」や日本で生まれたことを示す「Japanese」など、いくつかの意味をあてはめています。「〜工法」などというよりも覚えやすく親しみやすい名前を、ということで名づけました。基本のユニットをつなげることで、より広い空間も、2階建て以上の建物もつくることができます。太い柱や梁を1本も使っていないこの「箱」が、震度7の揺れにも倒れないと言うと、見に来た人はみな一様に驚きます。

■2.お手本は、木が本来持つ「粘り強さ」。
j・Podの強さの理由は、あばら骨の部分、ロの字型の「リブフレーム」にあります。ゴムのホースや竹かごを思い浮かべてみてください。外から力が加わった時、形が変わることはあっても、少々の力では壊れない。しなやかにたわみ、力を伝えながら吸収してしまうからです。木も本来、同じようなしなやかさ(粘り強さ)を持っています(板の上に乗るとたわむ、その性質です)。この粘り強さを活かしつつ、力の伝わりに明確な方向性を持たせ、水平荷重による耐力強度を数値化できるようにしたのがj・Podのリブフレームです。
もちろん、まっすぐな木材でロの字型をつくるのですから、そこには必ず繋ぎ目が生まれます。その繋ぎ目を、いかにして木の連続であるかのようにやわらかに繋ぐか、ということが大きな課題でした。
強いものをしっかりと作ろうとするとき、人間は、どうしてもしっかり固定しようとしがちです。金属のボルトなどで固く留める方が、強い構造ができると思うからです。けれど、全体の中に強い部分(たとえばボルト)が生まれてしまうと、外部からの力はそこに集中する。ボルトそのものは力を跳ね返しても、木が割れたり裂けたりして、壊れてしまうのです。
j・Podのリブフレームは、板材を2枚重ねて作ります。縦方向と横方向の板の繋ぎ目が重ならないよう、互いを「てれこ」にして作る角の仕口部分(接合部分)には、L字型のスチールの薄板を挟み込み、両側から70本ずつの 釘を打って接合します。釘がスチールの薄板を打ち抜くと、釘と共にスチール板も相手側の木にめり込み、そのことによって、角部がやわらかく繋がり、あたかも一体的な木の連続のような繋ぎ方が可能になったのです。特別に強い部分をつくらないことで、結果としてどこにも弱い部分を持たない、全体として耐力のある構造を完成することができました。

■3.新しい日本の木造建築を。
j・Podは、イギリスの建築会社と日本の企業との共同研究で開発された基本的な構造――フレームを等間隔に並べ、箱状のユニットをつくる基本構造――を、日本の風土に合うかたちに再構築したものです。コンクリート造が主流となってしまった現代の日本で、新しい木造の建築モデルを提示できる可能性がある――そう考えたことが、日本での研究開発の発端でした。
かつての日本の都市は、木造建築の建物が並ぶ「木製都市」でした。高温多湿のモンスーン気候は、大雨、大雪といった災害をもたらす一方で、豊かな水と、その水が育てる豊かな森林を日本に与えました。身近に豊富にある森林資源を使って家を建てることは実に自然なことであり、事実、台風や地震などにも耐える木造建築の技術が磨かれたのです。釘を最小限しか使わず、筋交いを入れなくても何百年も壊れない強さをもつ建物もたくさんありました(伝統的な木造建築の、木と木を釘を使わずに組み合わせる「貫」と呼ばれる方法は、j・Podのリブフレームが目指した「しなやかな」繋ぎ方の原型です)。けれど、それは今では、歴史的な建造物や古い民家などに見られるだけになってしまっています。「木製都市」は、鉄筋コンクリートの都市へと変貌してしまったのです。
その経緯については後述しますが、建物の強さや安全性を追求するとコンクリート造になってしまう――建築に携わる者として、そんな実情に強い違和感がありました。現代の日本の状況にふさわしい方法で、地震や台風に強い木造建築はできるはずだ。そんな思いがあったのです。

■4.スギの間伐材に、活躍の場を。
もうひとつ、なんとかしたいと思っている問題がありました。それは日本の森林の現状です。
ご存知のように、日本には、間伐などの手入れがされないまま放置されている山林がたくさんあります。間伐材の用途が減り、商品価値が下がってしまったために、伐り出しても赤字になるだけ、という状況の中で、身近にある山の木は利用されず、使われる木材の約8割は海外から輸入されているのが現在の日本です。特に、かつて国からの補助を受けて山の上まで植えられたスギ林の問題は深刻です。手入れされない山林は、森林として健全でないばかりでなく、密植されたまま育って根が浅い木は、大雨が降ると倒れ、土砂くずれなどの災害をおこす例も少なくありません。
こうした現状を変えるには、まず日本の木を使うことが必要です。それも、大木や銘木ではなく、近くの山で手入れされないままになっている、大量のスギを使うことが必要なのです。できるだけ早くその道筋をつけなければ、この先、状況はもっと悪くなる。自分の家を日本の木で建てたいというごく当たり前のことが、いずれできなくなってしまう。そんな危機感を感じていました。
j・Podのリブフレームの材料となる板は、厚さ36ミリ、幅180ミリ、長さ4メートルが基本のサイズです。それほど太い原木は必要ないので、35年生から45年生程度の間伐材で十分まかなえるのです。さらに言えば、「j・Podには地元のスギを使う」というところまでをシステム化したいと思っています。家を建てることで地元の森林が元気になり、森林が元気になることで地域の防災にもつながる。近い場所から材料を調達することには、輸送エネルギーを軽減し、環境への影響を小さくできるというメリットもあります。

■5.傷ついた人のために、「木の家」ができること。
こうして実用化が進んでいるj・Podですが、この約6畳の「箱」の基本ユニット、実は災害に遭った人たちに提供される仮設住宅の基本の広さとほぼ同じです。ここにも、j・Podの可能性を考えています。
災害に遭った人たちに対して建物ができることは何か、ということは、私の研究テーマのひとつです。国内外の被災地での調査や、地震災害の多い途上国の支援に取り組む中で、様々な実情を目の当たりにしてきました。仮設住宅は、家族を失ったり、家や家財道具をなくして大きな痛手を負った人たちが過ごす場所です。明日からどうやって生きていこうか、もう一度希望を持ってやっていけるのだろうか…様々なことを考えながら過ごす環境として、コンクリートやプレハブの建物と、木の色や感触、香りに包まれる建物とでは、大きな違いがあると思うのです。
j・Podの特徴の一つに、建築にかかる時間の短さがあります。リブフレームを設置するのに半日。その前後の基礎工事や外装・内装の工事を入れても、数日もあれば木造の住宅を建てることができる。たとえば、リブフレームの段階まで加工したものを自治体単位でストックしておけば、急な要請にも素早く対応することができるでしょう。傷ついた人たちに、できるだけ早く、安心して過ごせる空間、落ち着いて考えられる環境を提供する――j・Podの役割は、そこにもあると考えています。

■6.木造建築は弱いのか。
心から安心できる環境、「生きること」の原点になる場所――仮設住宅であっても、終の棲家であっても、「住まい」の根本的な意味は同じです。そんな場所が、伝統的な木造から離れたのは、どうしてでしょうか。
契機となったのは関東大震災です。木造家屋が続く当時の都市構造では、いったん起きた火事の延焼を防ぐことは非常に困難でした。結果として、約36kuという広大な街が消失したのです。この経験を踏まえ、国は、都市の消防力の整備と鉄筋コンクリート造の建築を促進し、都市の「不燃化」を進めたのです。法律が強化され、木造の建物はごく小規模のものしか建てられない時代が続きました。防災の為の「脱・木造」の動きでした。
都市のコンクリート化が進む一方で、小規模な個人の住宅では、材料に木を使ってはいるが、しっかりとした構造計算がされないままの建物が大量に建てられました。この流れは、1981年の建築基準法改正まで続きます。阪神・淡路大震災で、倒壊と火災の大きな被害があったのは、多くがこうした古い木造住宅の密集地域でした。
「木造」といいながら、壁にモルタルを塗り、屋根に瓦を葺いた家は、重さのせいで地震の揺れに耐えられません。倒壊した建物は道をふさぎ、消火や救出活動を妨げました。モルタルや瓦が剥がれた家は、木が露出した状態になり、容易に延焼してしまいます。水道の断水によって消火活動がまったくできなかったことが、状況をさらに悪化させました。
このときの被害が、「木造住宅は災害に弱く、燃えやすい」という印象につながったことは否めません。けれど、本当に被害を大きくしたのは「木造であること」ではないのです。倒壊しにくい木造住宅はつくれる。そして、万一火事が起こってしまったときにも、初期消火ができるシステム、延焼を防ぐシステムを、構築することは可能です。

■7.「木造都市」の防災システム。
木造の建物を建ててきたのは、日本だけではありません。アメリカ・サンフランシスコ市は、今でもたくさんの木造建築が並ぶ「木製都市」です。いたるところにヴィクトリアン・ハウスと呼ばれる、ヴィクトリア風建築様式の木造住宅群があります。いまでも、住宅は木造で造ることが一般的で、木造のアパートの建設も積極的に行われています。
このサンフランシスコは、かつて、大きな地震とそれに続く火事で大きな被害があった街です。1906年の、サンフランシスコ大地震です。この火事で消失した面積は、約6.5kuにも達しました。
けれど、サンフランシスコの人々は、木造の住宅を諦めませんでした。地震や火災に強い木造建築の研究を進め、それと並行して、市街地を望む丘の上の大型貯水槽から総延長約200kmもの管路で街中に水を送るシステムや、交差点下の地下貯水槽の建設などを含む、大規模な消防システムを構築したのです。サンフランシスコの人々にとって、ヴィクトリアン・ハウスに代表される木造建築は、歴史的な建築遺産であり、彼らの生活や生き方をそのまま体現するものなのです。だからこそ、この都市では、木造の家に住む文化が脈々と受け継がれているのです。
こうした防火システムをもった都市は、日本にもあります。
合掌造りの集落が世界文化遺産にも登録された岐阜県・白河村では、川の水を利用した水の供給システムを構築し、消火栓などの設備を集落にくまなく配置しています。直接火を消す役割のもの、隣家への延焼を防ぐ水の膜をつくる役割のものなどがあり、集落全体での防火体制を整えているのです。同じく岐阜県・郡上八幡市では、街中にはりめぐらされた生活用水の水路に防火水槽を組み込むことで、常に充分な消火用の水を確保するシステムを作り上げています。
いずれも、地域の環境に合わせた防災システムを構築することで、木の家に暮らしてきた文化を守り、継承しつつ、安全な暮らしも実現している。ここに、「脱・木造」ではない方向の、安全なまちづくりの可能性が見えていると思うのです。

■8.誰もが、安心で安全な木の家を建てられるように。
コンクリートに囲まれて暮らしてはいても、日本人の心のどこかには木の家に住みたいという思いがあるはずだ、と私は思っています。ただ、これまで述べてきたような状況の中で木造住宅離れが進み、また、日本の山や林業が疲弊する中で、地元の木を使って家を建てる事が、特別なこと、あるいは割高なことになってしまう現実があります。木の家を欲しいと思う人と、つくってあげたいと思っている人が、まだまだ結びつきにくいのが日本の現状です。
だから大学では、技術的な裏づけをすると同時に、林業に携わる人、製材する人、フレームを組み上げる人、建築する人、そして家を建てたい人を「繋ぐ」役割ができればと思っています。j・Podは、外見も、構造も、建築家が銘木をたくさん使って建てる家とは対極にあります。どこにでもある普通の材を使って、ざくざくとプレカットで材料がつくれて、短い工期で建てられるシステムです。「木の家を建てたいと思う誰もが、安心で安全な木の家を建てられる」――いま必要なのは、そういうシンプルな仕組みです。

■9.木の家に暮らす、日本の文化を継承したい。
大学の構内にあるj・Podでは、週に何時間か講義も行っています。不思議なことですが、j・Podの中で話をしていると、学生の顔つきに変化が生まれるのです。
木に囲まれた空間は、まず、音の響きが違います。コンクリートのような耳障りな響きがないのです。相手の表情を見ながらゆっくり話そう、という気持ちになる。人と人との関係も、落ち着いたものになる。学生たちの顔を見ていると、子どもたちも、幼いときからこういう体験ができたら――そう思わずにいられません。
木でつくったものに触れると落ち着くとか、木の香りや色が好きだという人は多いでしょう。ただ、その木への愛着の気持ちは、その木が育っている山とか、その山がある故郷などとは結びついていない。木を育てる人と木を使う人が分かれてしまっているからです。海外から大量の木材を輸入しながら、足元では地元の山が荒れている――そんな日本の現状も、人と木との結びつきの希薄さが一つの原因ではないでしょうか。そして、その部分こそが、子どもたちの中に時間をかけて育てていかなければならないことだと思うのです。木造校舎で授業を受ける体験などは、もっと大切にすべきだと思います。入学するときに木を植えて皆で育て、代々それを引き継いでいく学校林のような仕組みも有効かもしれません。教室や備品の修繕には、過去の生徒たちが植え、自分たちが世話をし、親しんだ学校林の木を使う。特別な材料のいらないj・Podなら、学校林の木から木造の教室をつくることも、もっと身近になるはずです。
j・Podの「j」にはいくつかの意味づけがされている、ということは前述しました。さらに言うなら、私は「jointed=連帯した」というような意味に捉えたいと思っています。森林のこと、木造建築のこと、住まう文化のこと、それらの問題を共有する「連帯」です。さらには、様々な技術や知識の「連帯」です。「地震に強い木造建築」という工学的な問題の解決だけでなく、もっと包括的な、木の家に暮らす風土を継承する――j・Podが、そんな役割を担うものに育っていけばいいと思っています。


[小林正美]
1948年、東京生まれ新潟育ち。京都大学工学部土木工学科卒業、同大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。同大学助手、講師、同大大学院工学研究科環境地球工学専攻助教授、教授を経て、2002年より現職。1999年より3年間、国際連合地域開発センター防災計画兵庫県事務所所長を務める。工学博士。
主な著書に、『木造都市の設計技術』(責任編集、コロナ社)、『環境デザイン学入門』(共著、鹿島出版会)、『仕組まれた意匠』(鹿島出版会)など。