■第33号(2006.4発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

森林の力が暮らしを守る。
海辺の最前線に生きる、海岸林の可能性

山形大学農学部 教授 中島勇喜(談)


1.そして、人は木を植えた。
2.「白砂青松」――日本的風景の誕生。
3.ひとり何役も、の多様性。
4.クロマツ林の危機。
5.森林の役割、人間の役割。
6.もう一度、「自分たちの森林」へ。
7.海岸林から、新しい人と森林の交流を。



遠い昔から人が森林に求めてきた役割のひとつに、様々な「防災」機能があります。木を植えることで、風や波から、あるいは雪や砂から、暮らしを守ったのです。地震や津波、台風、大雪…と、自然災害が相次ぐ今、こうした森林の機能に改めて目を向けることから、人と森林の関係を問い直す契機を探ります。

■1.そして、人は木を植えた。
日本有数の米どころの一つ、山形県庄内平野。日本海に面したこの平野の海岸沿いには、約7000haにもおよぶ広大な庄内砂丘があります。その砂丘のほぼ全域に、長さ約33キロ、広いところでは幅約2キロにわたって黒々と続くのが、クロマツ林。300年にもわたって、海からの風と砂、塩から内陸部を守り、人々の暮らしと豊かな穀倉地帯を育んできました。
実は、1600年代の初頭の頃、この一帯には丸裸の砂丘が広がっていたといいます。もともとあった林がほとんど消失したためです。戦火で焼かれたり、製塩のための燃料として伐られたり、理由はいくつかありますが、いずれも人間の手によるものでした。その結果、それまで林が防いでいた風が砂や塩を内陸に運び、大きな被害をもたらしたのです。
特に、砂の被害は深刻でした。いったん北西の強い季節風が吹くと、田畑や川に砂が積もり、作物を荒らし、当時の主要な運搬手段だった舟運を脅かしました。一夜にして家が埋まってしまうこともあったといいます。当時の人たちにとって、それはまさに死活問題であり、同時に藩の財政を揺るがす問題でもありました。
クロマツ林の造成は、そのような問題を解決する手段として始まりました。1700年代初頭のことです。庄内藩の場合、「植え付け役」という役職を制定し、「官」による植林もすすめましたが、その多くは地域の豪商が担いました。藩は、「植林が成功すればその土地の所有を許可する」という、いわば「民」による制度をつくったのです。名字帯刀を許される可能性もあったといいます。それは、彼らに大きな名誉と新しい田畑という実質的なメリットをもたらす取り組みだったため、何人もの豪商達が私財を投じて植林を進めました。働き手として参加した農民にとっても、これは自らの田を得るチャンスでした。また、育った森林からは落ち葉や枝などの燃料・生活資材を得ることもできました。
こうした民間人による植林と維持管理は1900年代初頭まで営々と続けられました。庄内砂丘には堂々たるクロマツ林が誕生し、内陸の砂の被害も徐々に軽減したのです。

■2.「白砂青松」――日本的風景の誕生。
庄内砂丘のクロマツ林のように、海岸部にある森林を「海岸林」といいます。自生のものも、人が植えたものもありますが、日本各地に存在する森林の形です。
日本列島には3万4000キロにおよぶ海岸がありますが、その多くは砂地です。一方で、国土の約7割が山地であることから、居住や農耕をする平野の多くは海岸部に集中します。このため、飛砂や潮風、高潮といった海岸部特有の現象から暮らしや産業を守る目的で、各地に海岸林がつくられたのです。佐賀県の「虹の松原」、福井県の「気比の松原」、岩手県の「陸前高田の松原」など有名なマツ林が数多く生まれ、「白砂青松」という言葉で表される、日本の典型的な海岸の風景を形成しました。
各地で本格的な造林が行われるようになったのは江戸時代初期から、盛んになったのは政局が安定した1700年代に入ってからです。最初は、海岸に適した樹種を探すところから始まります。常に強風と塩にさらされ、根をはる地盤は水や養分の少ない砂地であり、しかもその砂は風によってどんどん移動する――そんな、極めて不利な環境に耐える木を求めて試行錯誤したのです。
その結果、見出されたのがクロマツです。クロマツは、火山噴火後の溶岩台地で最初に根付く樹木であることでもわかるように、痩せた土地でも生育する生命力の強い木です。風や塩への耐性も高いことから、日本の海岸林の多くがクロマツで構成されることとなりました。
そうして生まれた海岸林は、地域の人々によって大切に管理されてきました。現在の森林法などでも、その多くが保安林に指定されて保護されています(もちろん、こうした人間と森林の関係は、海岸以外の地域にも存在します。雪崩や土砂崩れ、落石などを防ぐ目的の保安林もありますし、家の周りに林をめぐらせて強風を防ぐ「屋敷林」なども、森林の機能を生かした生活の知恵だったといえます)。

■3.ひとり何役も、の多様性。
海岸林に期待される役割は地域によって様々ですが、木々は、実に他面的にそれをこなしています。
風や、風による砂・塩の飛散に対しては、主に樹冠部分の枝や葉で「漉し取る」という働きをします。「漉し取る」ためには、空気は適度に通しながら砂や塩は通さない、遮蔽と隙間のバランスが必要ですが、木は、ある程度の集団になることで絶妙のバランスを発揮するのです。中でも枝や葉が細かいマツは、この「漉し取る」機能に優れています。「枝葉末節」とは、通常「どうでもいい細かなこと」という意味ですが、海岸林の機能においては、まさに「枝葉末節こそが根幹」と言えるのです。
津波や高潮などに対しては、波の衝撃をやわらかく受け止めるという働きをします。海岸林全体でクッションのような役割を果たすのです。幅40メートルの森林があれば、波の速度は半分に、エネルギーは実に10分の1に軽減します。
これは、コンクリートの防潮堤のような人工構造物には真似のできないことです。防潮堤の場合、限界を超えるエネルギーが来ると、それ自体が壊れて被害をもたらしかねません。壊れずに済んでも、巨大な波は防潮提にあたって垂直に跳ね上がり、それが堤防の内側に落下することで家屋や人を傷つける力になってしまう場合があるのです。海岸林には、他にも、船などの漂流物が内陸に入ってくるのを防ぐ機能もありますし、引き潮でさらわれた人が木につかまって助かった例も報告されています。
さらに、こうした災害が起こっていない時にも、森林は様々な生物に生育環境を提供し、豊かな自然の景観と憩いの空間をつくりだします。こうした多様性こそが、生物である森林のすばらしさだということを、改めて認識すべきでしょう。

■4.クロマツ林の危機。
しかしその海岸林は、いま、様々な危機に見舞われています。生活の変化によって人々が森林に入らなくなり、適切な維持管理ができていないことが大きく関わっています。
ひとつは、遷移による広葉樹の侵入です。クロマツは海岸の環境にも根付く強い生命力を持つ木ですが、太陽の光を浴びていないと育つ事ができない陽樹です。自然の状態では、時間の経過とともに広葉樹などにとってかわられる運命にある木です。
かつての海岸林は、地域の財産として維持管理をしていたことはもちろん、前述のように、落ち葉や枝を燃料として利用していたため、結果として土壌は常に痩せた状態に保たれていました。ところが、人が手をいれなくなると、地面に積もった落ち葉が腐植となり、徐々に肥えた土へと変わっていきます。すると、今まで生育できなかった広葉樹が入り込む余地がでてくるのです。日陰になってしまえば、マツは生きていけません。
同様のことが、外来種のニセアカシアにも言えます。ニセアカシアは非常に繁殖力が強く、伸ばした根からも新しい芽を出し、木に成長し、どんどん増えていきます。現在、庄内海岸のクロマツ林にも、あちこちにこうした広葉樹やニセアカシアの藪が見られます。外側から見るだけではわかりにくいけれど、クロマツの生育領域は確実に侵されているのです。
もうひとつは、マツノザイセンチュウ病、いわゆるマツクイ虫被害です。もともと外材から日本に入ってきたもので、日本のマツは耐性が弱く、大変なスピードで被害が広がります。秋田県では各地でクロマツ林が全滅し、それにともなって秋田市内でも再び飛砂の被害が発生しはじめています。
さらに、開発によって林が田畑や住宅地などになる例もあります。海岸林は、ある程度の厚みがないと機能を発揮できませんから、これも大きな問題です。川の上流の開発やダム建設などのために海岸への砂の流入が減ったり、建設資材として砂が採取されることで海岸が侵食され、海岸林の成立基盤そのものが揺らいでいるという問題もあります。

■5.森林の役割、人間の役割。
こうした状況に対して、私たち人間はどのように対処すべきなのでしょうか。
広葉樹の遷移については、様々な議論があると思います。自然の営みとして様々な樹種が交じり合う多様性を重要視する見方もあるでしょう。しかし、たとえば庄内地方の場合、自然の遷移に任せるとクロマツはナラ類などの落葉広葉樹に移行してしまいます。冬になると葉が落ちるため、砂や塩を防ぐ役割は果たせません。ニセアカシアは根が浅く、強風が吹くと根こそぎ倒れてしまうため、これも無理です。
マツクイ虫被害については、県や林野庁などによって、薬剤の散布とあわせて、森林の中から被害木を一本一本特定し、伐採する処置が施されています。しかし、大変な人手が必要なため、マツクイ虫の繁殖のスピードに追いつかないのが現状です。
人間が、自分たちの暮らしを守るために森林をつくり、役割を――庄内地方ならば、風や砂、塩の被害を防ぐという役割を――担わせているのであれば、その役割が果たせるように面倒を見ることは、その森林の成立条件です。人間が手入れをし、遷移もコントロールして、健全なクロマツ林を維持する努力をする必要があるのではないでしょうか。クロマツ林と私たちの間に、「守り、守られる関係」を築くことが大切だと思うのです。森林と同じくらい多様な役割を果たしてくれる人工構造物は、今のところないのですから。

■6.もう一度、「自分たちの森林」へ。
地域の人たちの間に、新しい動きも起こっています。
庄内海岸のクロマツ林の場合、まず、ボランティア団体やNPOの人たちが立ち上がりました。枝打ちやつる切り、下刈りなど、クロマツ林の維持管理に積極的に取り組む人たちが登場したのです。PTAが始めた「砂防林づくり」の活動が子供たちにも広がり、授業の中で継続的な取り組みとなっている小学校もあります。
ひとつの契機となったのは、1998年11月の季節はずれの大雪でした。たくさんのクロマツが倒れ、枝を折り、無残な姿を見せました。各地のマツクイ虫被害の状況も同様ですが、傷ついたクロマツ林の姿が人々の危機感につながったのです。この林が地域の歴史の象徴であり、それ自体ひとつの文化であること、かけがえのない自分たちの宝であること――それを再認識することが、運動の原動力になったのかもしれません。
2002年、そうした民間の人たちと、行政、民有林所有者、林業団体、そして我々研究者が一体となって、「出羽庄内公益の森づくりを考える会」を発足しました。
大切にしているのは、様々な立場の人が同じテーブルについてよく話し合うことです。自分たちの財産であるクロマツ林を(ひいてはその地域一帯を)どうしていくのか、孫やひ孫の代まで続く方法を考えるべきだと思っています。先ほどの遷移の話にしても、ぜひクロマツを守りたいという意見も、マツにこだわる必要はないという意見も、両方がありました。そういう意見にわれわれ研究者からのデータをあわせて、いちばんふさわしい方法を考えていけばいいと思っています。
砂や塩を防ぐためにはどのくらいの長さや幅、密度の森林が必要なのか、数値化できるよう研究を進めていますが、現在のところは、海岸林をゾーニングし、地域ごとに必要な維持管理の方法を検討しています。何しろ長さ33キロ、広いところでは幅2キロに及ぶ広大なクロマツ林です。限られた人手で全て同じように手入れをすることは不可能なので、まず区切ろうという考え方です。海岸に面した最前線の250メートルについては、機能面での適性を考えて、やはりクロマツ林を維持することが必要です。ここでは、入り込んだ広葉樹を伐採したり地面に積もった落ち葉を取り除いたり、という徹底した手入れを目標とします。それより内陸側についてはある程度自然の遷移に任せよう、という方向で進んでいます。

■7.海岸林から、新しい人と森林の交流を。
ここに、ひとつの期待があります。海岸林を舞台に復活しつつあるこうした人間と森林との交流が、森林の素晴らしさ――多様な役割を果たしていることや、環境に対する公益性とでも呼ぶべきもの――を実感するきっかけになれば、と思うのです。
風にしろ、砂や塩にしろ、何かの被害を防ぐというのは比較的ありがたみが理解しやすい。暮らしを守ってくれている「お返し」として森林を世話する、という関係がわかりやすいのです。ここ数年、地震や津波、台風や大雪などの被害が相次いだことで、「防災林」としての海岸林への関心も高まっているはずです。まして多くの海岸林は、かつて地域の人々が大変な苦労をして育ててきた森林です。その歴史を学べば、大切に受け継いでいきたいという思いもごく自然に生まれてくるでしょう。
多くの海岸林は平野部からも近く、また平坦な場所にあります。山がちな日本にあって、小学生でも危険なく入ることのできる貴重な森林だといえます。ここで体験し、実感したことは、他の森林を考える時にも土台となるでしょう。さらに、「出羽庄内公益の森づくりを考える会」のように、様々な立場の人が協力しながら森林の維持管理をするという仕組みは、人と森林の関係をもう一度築くための、ひとつのモデルケースになるのではないかと思うのです。
森林は、実に多くの可能性を持っています。たとえば、いま日本の山に無数にある砂防ダムも、流れの速度や川幅などの条件が整えば森林に置き換えられる可能性があります。実際、流れの緩やかな川での研究では、ある種のヤナギが見事に根付き、過剰な土砂の流出を防いでいます。「緑の砂防ダム」と名づけていますが、この場合も、コンクリートの建造物が森林に代わることで、生物の生育環境をつくり、魚の遡上を可能にするなど、多様な役割を果たしています。
植えた苗木が森林に育つまでには、20年、30年という長い年月が必要です。だからこそ、現在ある森林に目を向け、その可能性を知り、ともに生きていく方法論を見つける必要があると思うのです。


[中島勇喜]
1944年熊本県生まれ。鹿児島大学農学部卒業、九州大学大学院農学研究科博士課程単位取得退学。九州大学農学部助手、山形大学農学部助教授を経て現職。2005年4月より同大学農学部長に就任。日本海岸林学会会長。農学博士。専門分野は砂防学。
主な著書に、『日本の海岸林』(共同執筆、ソフトサイエンス社)、『海岸の砂防』(共同執筆、石崎書店)、砂防学講座第2巻『土砂の生成・水の流出と森林の影響』(共同執筆、山海堂)など。