■第25号(2002.4発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

「林業で働くこと」―その明日をさぐる。

信州大学農学部 教授 小池正雄(談)


1.新しいスタイルの「働き手」が登場した。
2.かつて、「山で働く」ことは、花形職業だった。
3.労働環境の整備が始まった。
4.働き手の創出と、仕事の創出と。
5.世界で、日本で、林業の役割の変化が起こっている。
6.森林への視点を定めれば、方法は見えてくる。



「全国森林組合連合会が開いた就職相談会に、主催者の予想をはるかに上回る約800人が来場。」そんなニュースが新聞紙上をにぎわしている。高い失業率や雇用不況といった社会状況もこの動きの追い風になり、新たに林業で働き始めた人は、2000年度だけで2300人にのぼった。しかし、そうした新しい働き手のすべてがスムーズに林業に定着したわけではなく、慢性的な人員不足は依然として解消されていない。新しい雇用と、新しい働き手と。その双方を結びつけることで見えてくる、林業の新しい将来像を模索する。

■1.新しいスタイルの「働き手」が登場した。
林業に就職する人たちにある変化が見え始めたのは、1980年代後半から90年ごろにかけて、ちょうどバブル期のことでした。たとえば「ペンションを経営する傍ら、林業を」「自然の中で働ける職場として」「精密機械の会社を辞めて、戸外で働ける仕事求めて」。それぞれの思いをもったUターン・Iターンの就職希望者が増え始めたのです。
彼らは、都会の生活やサラリーマンという働き方に飽き足らず、「自然を志向して」山にやってきた、いわば、新しいライフスタイルや価値観に基づいた林業労働者でした。
Uターン・Iターンの形で林業に職を求めるというスタイルは、その動機を若干変えながらも現在まで増える傾向にあり、折からの厳しい経済情勢や就職難が後押ししていることは容易に想像できます。
そうした新規に林業労働に参入してくる人たちの中には、地域に定着し、経験を積んで中堅の技術者として活躍する例がある一方で、短期間で転職していく人たちの割合も相当数あります。調査した中では、就職してからの5年間で、約1/3の人たちが転職・退職していた事例もありました。
戦後、高度経済成長の時期に造林した森林は、継続的な施業が最も必要な時期を迎えています。しかし、全体としては林業で働く人は減り続け(1960年に44万人だった林業人口が現在は7万人に)、高齢化が進み、十分な施業ができない状況が続いています。
林業は、慢性的に働き手を求めています。林業に携わりたいと就職してくる人もいます。双方を結びつけるためには、どのような方法が考えられるでしょうか。

■2.かつて、「山で働く」ことは、花形職業だった。
長い間―1970年代の初頭のころまで―林業の働き手は、独特の方法で集められ再生産されていました。
山村には「組」と呼ばれる地域に根ざした作業組織がありました。彼らの多くは、地域に自分の農地を持ち、山の仕事をしながら農業も営むという生活をしていました。「組」は地域のつながりの中で生まれた地縁的な組織ですから、人と人とのつながりによって新しい働き手が補充され、「組」の中で技術が伝えられていました。つまり、現在で言う「人員募集」や「研修」のようなことは、雇用する資本の側ではなく、働き手の集団の中で行われていたのです。
林業労働は、仕事の対象が森林であり、フィールドも自然の中です。高い技術が求めれると同時に、常に危険が伴う重労働でもあります。また、労働そのものが季節や天候に大きく左右されるため、労働時間や休日などが規定しにくく、収入にも不安定な要素が多くあります。
加えて、「組」という特殊な組織を通して働き手が補充されていたため、雇用する側も、一般の企業への就職で基準になるような様々な労働条件―賃金体系や労働時間、様々な保険への加入の有無など―を明確にする必要性に迫られなかったといえるかもしれません。
しかし、当時、「山で働くこと」は社会的にも評価の高い職業でしたし、労働の厳しさや要求される技術に見合った収入もありました(公務員の1ヶ月の収入を1、2週間で稼いでしまうほどでした)。労働力は、スムーズに確保できていたのです。
しかし、やがて変化が訪れます。
まず、1961年に国産材の急騰を受けて外材輸入が開始され、徐々に国産材の価格が下落しはじめました。それまでの日本の林業は、銀行などの預金を上回る利回りが期待できる、経済的にも非常にメリットのある産業でした(たとえば、有名林業地であれば、伐り倒したスギやヒノキの皮をはいで販売するだけで作業する人の賃金が出てしまう、と言われていたほどです)。しかし、その経済的な基盤が弱まりはじめ、やがて利回り率ゼロ水準にまで下がってしまします。スギ1立方メートルで雇用できる作業員の数は、1961年には11.8人だったものが、1985年には1.8人に下がりました(現在はさらに下がり、1人をきる状況になってしまっています)。林業労働で、その厳しさに見合うだけの高収入を得ることは、どんどん難しくなりました。また、山村での農業や畜産、養蚕などが衰退する一方で、都市部では高度経済成長によって雇用が拡大し、山村から労働力が流出しました。厳しい労働環境に加え、チェーンソー使用に伴う振動障害が大きな社会問題になるなど、林業労働そのものに対する不安感も高まりました。
様々な要因が重なって、輝かしい労働の象徴だった「山で働くこと」は、収入の面でも、労働環境の面でも、陰りが出始めました。高齢者がリタイアしていく中で「組」が解体し、林業への新規参入者は激減しました。森林が育ち続ける一方で、経済的基盤と労働力が不足するという、現在に至る状況が生まれたのです。

■3.労働環境の整備が始まった。
外材の輸入によって木材価格が下落を始め、同時に労働力不足が徐々に問題になり始めた1960年代、林業の労働環境整備は少しずつ進められていました。
戦後からこの時期まで、いわゆる労働三法の制定など、一般社会では様々な労働政策が行われていましたが、林業の状況に適したものではなく、林業の労働環境整備は、他の産業から大きく遅れていました(たとえば1945年の労災保険制度は、延べ千人以上の雇用事業所であることが適用基準でした。規模の小さな素材業者や林家などが多い林業で適用の対象となるのは、国有林とごく一部の大規模民有林ということになり、制度の恩恵を受けた林業労働者はごく一部にとどまりました)。初期の取り組みは、その遅れを取り戻すためのものだったといえます。
端緒となったのは、1964年の林業基本法の制定です。その第19条には、林業労働者の福祉の向上をはかること、新たな林業労働者を養成・確保することを目的として「就労の促進、雇用の安定、労働条件の改善、社会保障の拡充、職業訓練の事業の充実等必要な施策を講ずるものとする」と、国の姿勢が明示されました。
主な取り組みのひとつは、社会保険への加入促進です。前述したように、民有林では適用水準が非常に低い状態であったため、森林組合が雇用主になることで適用基準をクリアし、健康保険や厚生年金保険、失業保険などへの加入を促進しました。また、1974年の失業保険法の改正では、農林水産業が適用範囲になったため、積雪によって仕事ができない状態も失業とみなされ、冬期の生活の不安定さが幾分かは解消されました。1981年に林業退職金制度が発足し、94年に労働基準法の林業への完全適用を達成するに至って、林業での社会保障制度が、ようやく土木建設業のレベルまで向上したことになります。
年間を通じて働ける環境をつくり、所得水準を上げるために、市町村や県が協力して、より広い地域で仕事量を把握するための「労働力需給調整会議」が制度化され、技能研修の促進や、振動障害を防止するためのチェーンソーの改良なども進められました。
こうして、徐々にではあるが労働環境は整備されてきました。1990年代以降は、行政や森林組合によって労働力確保のための施策が積極的に行われました。そのひとつが、1996年の「林業労働力の確保の促進に関する法律」の制定です。この法律では、各都道府県に設置された「林業労働力確保支援センター」を通じて求人や研修、林業就業資金や高性能林業機械の貸し付け、就職希望者に対する相談や指導を行っており、冒頭で述べたIターン・Uターンの就職希望者増加も、その成果の表れだといえます。

■4.働き手の創出と、仕事の創出と。
しかし、制度面での労働環境が徐々に整ってきた現在でも、冒頭に述べたように、新しく林業に就職する人の定着率は高くはありません。林業を離れる理由は「体力体調の不調」や「収入不足」「不適応」など仕事の厳しさに起因するものが大半です。
しかし、逆に言えば、制度を整えてそうした「厳しさ」を軽減すれば、定着率がアップし、人手不足解決につながるともいえます。その取り組み事例を紹介しましょう。
長野県の信州上小森林組合は、長野県上田市と小県郡一帯に、民有林、国有林合わせて約6万5千haの森林を管轄しています。ここでは、過去の労働災害の経験から、いちはやく労働環境整備に着手しました。雇用保険、健康保険、労災保険など各種の保険、農林年金や退職金制度に加入し、労働時間や休日の規定を明確に定めました。日給制、月給制、出来高制から選べる賃金システムをつくり、精勤手当てや扶養手当などの諸手当、年1回の賞与や昇給を設定しています。新しく林業に携わる人でも月給制で安定した収入を得ることができ、技術のある人は出来高制でより高い収入を得ることが可能です。
教育や研修についても、大変慎重な方法をとっています。就業前教育や体験実習を行った後、日給1万円で2〜3ヶ月の試用期間を設けます。この間に、雇用する側は応募者の適正を見極め、応募者本人も実労働をしながら自分の意思を確認することができます。また、新たに住宅を建設して住居を確保するなど、Uターン・Iターンの新規参入者への配慮も行っています。
しかし、一方で、そうした体制を維持するためには、それだけ多くの収入を確保することが必要です。
まず、森林組合全体で仕事量をまとめ、間伐をはじめとする作業の効率化をはかります。同時に、林道網の整備や機械化を進め、低コストで安全な作業ができる環境を整えます。しかし、間伐材の価格は下落を続けており、大きな収益にはつながらないため、間伐材を集成材原料に加工するプラントを建設し、集成材加工と製品化までを地域で行うという事業を進めています。
造林および素材の生産以外の分野にも事業を広げています。森林土木事業の設計管理や住宅建築、造園などを請け負う株式会社と、レストランやマツタケ料理店、釣堀などを経営する特産センターの設立です。経営を多角化し、そこでの収益を森林の方へ返す、という仕組みをつくったのです。
その結果、1995年には50.3歳だった技能職員の平均年齢は、2000年には41.9歳まで若返り、40歳代までの技能職員が70%を占めるまでに至っています。また、技能職員の募集に対しては、大卒、高卒の新卒者も多数応募してきており、毎回、募集人員の数倍の応募者が出るまでになっています。冒頭に紹介した「自然を志向する人々」とは異なり、さまざまな職業の中の選択肢のひとつとして林業をとらえ、条件や適性を考えた結果、林業に就職する、そんなスタイルが定着しつつあるのです。

■5.世界で、日本で、林業の役割の変化が起こっている。
前述の信州上小森林組合の取り組みは、林業のみならず地域の活性化にも明るい材料をもたらしました。それが可能になったのは、森林資源を地域の財産―共通の社会資本―ととらえ、全体として活用しようとする、この森林組合の姿勢に要因があるといえます。共通資本である森林を健全に保つためには間伐が不可欠であるし、森林の環境をそのまま財産として生かす事業(レストランなど)への展開も、その延長線上に生まれてくるものだからです。
こうした森林のとらえ方は、世界的な流れでもあります。
アメリカでは、生態系の一環として森林を見ようという、「エコシステム・マネジメント」の考え方が浸透しつつあります。木材資源を得るために森林があるのではなく、まず、生態系としての森林を健全に管理した結果として、様々な森林の機能が発揮される。木材資源もその機能のひとつだ、という考え方です。ドイツでも、徹底的に森林を管理し、皆伐と植林によって確実に一定量の木材を収穫する「法正林思想」から脱却しつつあります。近年2度の大きな風害や酸性雨の被害が、人工的につくりあげたトウヒの単層林の弱さ(不自然さ)を見直す契機となったのです。トウヒの間に広葉樹を混ぜて複層林をつくり、択伐や天然更新を取り入れるなど、より自然に近い形で森林を管理する方式へと転換をはかっているのです。
こうした例に共通しているのは、木材生産は森林の機能のほんの一部であるという認識です。まず森林ありき、森林が持つ様々な機能―いわゆる公益的機能―をよりよく発揮させる中で、木材も生産しようとしていることです。
日本では、2001年7月に森林・林業基本法が改正されました。37年ぶりの改正です。これまでの林業基本法が「林業関係者の所得の向上」を目的としていたのに対し、新しい法律では、森林の「多面的な諸機能―国土保全、水源涵養、自然環境の保全や、人と自然とのふれあいの場としての機能など―の発揮」が目的であり、林業は「そのための重要な手段」だと位置づけられました。つまり、木材生産主体の林業からの大きな転換が示されています。木材生産ができていれば、森林の多面的諸機能は自ずとついてくる、といった、いわゆる「予定調和論」の時代の終わりを宣言するものでもあります。そして、林業での労働が、従来の「木材という素材をつくる(それを販売する)」ことから「森林を健全に保つよう管理する」ことへ、転換を迫られているということでもあります。

■6.森林への視点を定めれば、方法は見えてくる。
新しい法律をどうとらえるか、見方は様々だと思います。しかし、木材生産のみを目的としてきたこれまでの森林経営の採算性が低下し、林家の経営意欲を減退させ、施業を立ち行かなくし、結果的に森林を荒廃させてきたことを考える時、「森林をどうとらえるか」という視点をしっかり定めておくことは大変重要になると思います。
森林を、「地域住民を基点として、広く都市住民を含む国民の大多数が、その『多面的な諸機能』を享受している社会資本」だととらえていれば、その社会性を発揮させるための、目先の採算性に左右されない森林政策が生まれるでしょう。間伐や林道整備などの森林管理を市町村の事業として位置づけ、県や国と連携する中で進めていくこともできるはずです。
あるいは、森林の所有者も、森林を健全な状態に保つことの重要性に目を向けるでしょう。自らが森林の世話をすることが難しい場合でも、施業を委託して森林を整備するといった方法に、より積極的に乗り出すはずです(その受け皿として森林組合および林業事業体の存在は、今後ますます重要になるでしょう。小規模の民有林をまとめて効率的に施業を行い、地域全体として森林を健全に管理していく、その担い手になるのです)。
また、国民は「森林の多面的諸機能」の恩恵を享受しているわけですから、そして、林業がその諸機能をよりよく発揮するよう森林を整備しているわけですから、その作業に対して(木材の対価としてではなく)国民から経済的な支出をすることにも根拠が生まれます。地域の森林と林業を活性化するために、地域産材・国産材を使う運動も、より活発化するかもしれません。
森林を育て、管理しながら、木材を生産し、経済的に林業が成立していく。よりよい労働環境が生まれ、潜在的にいる「林業で働く」ことを志望する人たちが集まり、山村に定着していく。―森林のとらえ方をしっかり定めることには、そうした好循環を生み出す可能性があるのだと思います。
日本の森林は、これからまだまだ手をかけて育てていかなければならない段階です。林業で働く人々、森林を育てるプロフェッショナルの存在が不可欠です。現在の林業を志向する人々の流れを活かしつつ、地域全体を包括する形で森林を活性化していく―そんな新しいスタイルが確立できれば、これからの林業にも明るい未来が拓けるはずだと思います。


[小池正雄]
1948年茅野市生まれ。京都大学大学院修了。中京大学短期大学助教授、信州大学助教授を経て、1990年より現職。バーデンヴュルテンベルグ森林研究所客員教授(1996-97)。農学博士。専門は森林政策学(森林・林業・山村政策の体系、森林労働など)。
主な著書に、林業労働の研究』(労働科学研究所出版部)、『新労働科学論』(労働経済社)、『森林・林業・山村問題研究所入門』(地球社)、『Forest Policy in Japan』(日本林業調査会)、『森林と環境の創造』(銀河書房)、『現代労働衛生ハンドブック』(労働科学研究所出版部)など。