■第19号(1999.4発行) 特集:日本人が森に学ぶこと。

「アグロフォレストリー」という発想。

日本林業技術協会・技術指導役 内村悦三(談)


1.古くて新しい、『アグロフォレストリー』という発想。
2.人間が生きるために森林が生きられなかった、という事実。
3.林業と農業の共生。それが、人と自然の共生を可能にする。
4.短期の生産量を上げることより、長期の土地力を上げること。
5.ニーズの数だけアグロフォレストリーがある。
6.住民の住民による住民のためのアグロフォレストリー。
  そのためのシステムづくりを。

7.さまざまな枠を取り払うことから、
  次代のアグロフォレストリーは生まれる。




『アグロフォレストリー(Agroforestry)』という言葉があります。『農業(アグリカルチャー=Aguriculture)』と『林業(フォレストリー=Forestry)』、ふたつの言葉を合成した言葉で、直訳すれば『農林業』となりますが、通常は「混農林業」といいます。今回は、主に熱帯林地域を舞台に展開されている『アグロフォレストリー』の世界をのぞいてみることで、グローバルな視点から日本の林業を見つめてみたいと思います。

■1.古くて新しい、『アグロフォレストリー』という発想。
『アグロフォレストリー』を簡単に定義づけるなら、『同じ土地で、ほぼ同時に、樹木と農作物(あるいは家畜)を組み合わせて育てることにより、総合的・長期的な生産力の向上を目指すシステム』、とでもなりましょうか。
有限の資源である「土地」を、林業・農業(あるいは畜産業)いずれかの立場から切り離して利用するのではなく、総合的に利用していこうとするこのシステムは、森林破壊が問題となっている熱帯地方で、現在特に積極的に導入されています。・・・・と申し上げると、何やら難しく聞こえるかもしれません。が、『アグロフォレストリー』を、「林業と農業の融合」とシンプルにとらえるとわかりやすいのではないでしょうか。
もともと日本では、林業を担っていたのはほとんどが農業の人であり、林業と農業はかなり近しい関係にあったことは改めて私が言うまでもないことでしょう。里山において保たれていた林業と農業の共存関係(そして両者が時代の流れの中で分離してきた歴史)は、すでに前号(vol.18)で北山先生が述べておられる通りですし、植栽後の幼木の間にマメ類やイモ類を植える「木場作」などはまさに、林業と農業との融合、『アグロフォレストリー』の一種に他なりません。
世界的に見ても、樹木と農作物を同じ土地に栽培することは、地域住民の知恵の所産として行われていたようです。たとえば熱帯アメリカでは、ココナツやマメ科樹木の下にコーヒーやカカオを植えこむことが試みられていますし、熱帯アフリカでは、樹木の下にヤムイモ、トウモロコシ(メイズ)、カボチャ、マメなどが植えられ、高密度に植栽された樹林地内でいかに合理的に太陽エネルギーを利用するかのシステムが考えられてきました。
また、アグロフォレストリーが初めて政策的・体系的に行われたと言われる”タウンヤ・システム”は1806年ミャンマーで開発されたもので、チークが育つまでの間、林床にマメ類やトウモロコシなど一年生の農作物を間植するものでした。チークが育つまでの除草の手間を農業によって省き、かつ農作物の収入を得ながら、最終的には樹木伐採による利益を得る、というもので、これが歴史的アグロフォレストリーの幕開きとされています。日本でも福井県で、スギ林の中にオウレンを栽培するやり方が大々的に行われましたが、これなどはまさに”タウンヤ・システム”の応用と呼ぶことができましょう。
つまり『アグロフォレストリー』という言葉の認識があったか否かは別として、林業と農業を組み合わせる発想、技術自体は古くから地球上の各地域にあったと言えます。

■2.人間が生きるために森林が生きられなかった、という事実。
アグロフォレストリーのメイン舞台は、森林破壊が急速にすすんでいる熱帯林地域です。これらの地域は、いわゆる発展途上国と重なります。
熱帯アジアを例にとるなら、これらの国々では1950年後半以降独立が相次ぎ、早急に経済力を強化する必要に迫られた、という事情がありました。ここにまず、外貨獲得の手段としての森林伐採、破壊の原因がありました。
そしてそれ以上に、これらの国々では人口が急激に増加し、それをまかなう食糧を生産するために、森林地帯を開発し農地・耕地を拡大する必要があった、という事情がありました。
さらに伝統的な「焼畑農業」が、それに拍車をかけます。人口増加に伴い焼畑に関わる農民人口も増え、土地利用のローテーションは短縮され、土壌条件の回復がなされる間もなく次第に悪化していく。その結果、食糧の生産効率も低下し、土壌の流出が見られるところも一部に出てくる・・・・。
ここで浮上してきたのが、「果たして農業だけで大丈夫なのか?」という疑問でした。

■3.林業と農業の共生。それが、人と自然の共生を可能にする。
「農業」というのはあくまで「収奪」の仕事です。土壌から養分を収奪――吸収した植物を根っこからまるごと引き抜いて持っていくものです。だから、何もせずに放っておくと土壌はどんどん悪くなってしまう。
一方、「林業」は・・・・。樹木は、種類によって深いところに根を張るもの、浅いところに根を張るもの、さまざまなので、地面からの養分の取り方もそれぞれ違う。この性質を活かし、いろいろな種類の木を混ぜて植えておけば土壌も急激に悪くはならない。さらに言えば、林業というのは基本的に、木から幹だけを取り、落枝や落葉は現地に捨てるものだから、それらが微生物に分解されてやがて土壌に還元されていく。
森林を伐採して農業だけを行うと、農産物はすぐに得られ収入につながるけれど、裸地となった農地の土壌は次第に悪化していかざるを得ない。一方、森林伐採後に林業だけを行うと、木が育つまで当分の間は無収入となる。ところが両者を組み合わせる――つまりアグロフォレストリーを実施する事で、同じ土地から農作物と木材の両方が、長期にわたって得られるようになり住民の収入は安定する。また、樹木が養分を補給した土壌の一部を農作物が吸収するという循環作用が永続的に行われ、長期にわたって土地の保全ができる。樹木の存在によって微気象の調整が可能になる。さらに、植える樹種によっては、熱帯林も蘇る・・・・
人類は所詮、地球上に一番あとから入ってきた生物なのですから、自然に逆らわず、自然と共生していく工夫をしなければなりません。林業と農業を共生させ、土地を合理的に有効に使うことで、生態系の循環をスムーズにするアグロフォレストリーこそは、人と自然の共生に貢献し得るものだと私は思います。

■4.短期の生産量を上げることより、長期の土地力を上げること。
ここで留意すべきことは、アグロフォレストリーは「単位土地から最大の生産をあげることを目的にはしていない」ということです。
農牧や林木を多元的に配置するアグロフォレストリーは、収穫の減少の危険度を軽減させながら、「土壌の長期的な利用を可能にし得るよう土地を改善する」ことが主目的であり、従って生産量が必ずしもプラスになるとは限らない、ということです。
たとえばある土地でトウモロコシを栽培するとします。トウモロコシだけが植わっている場合は機械なども入れやすいのですが、なまじ樹木が混ざって植えてあることで機械化しにくい、作業能率も悪いという事態も起こり得る。また、木が陰をつくり光が入りにくくなってトウモロコシの収穫量が減ってしまう、という不便もある。
つまり、農作物だけの単作では収穫が100あったのに、樹木を混生させたがために収穫が80に減ってしまうという可能性も、あり得るのです。「とりあえず目先の収入を求めるなら、一斉に畑にし単作にした方がずっといい(たとえば土地が少々傷んでも)。」という論法も成り立つ訳です。
もともと熱帯地方には、土地利用の厳しい農家が伝統的手法としてアグロフォレストリーを編み出し実践してきた、という歴史があることについては、冒頭で触れました。にもかかわらず、住民の間にしっかりと根を下ろすまでに少なからぬ時間を要したのは、この「単位土地から最大の生産をあげることを主目的にはしていない」というアグロフォレストリーの本質が関係していたと言えます。
すなわち、「農産物をすぐにでも換金したい」という住民の差し迫った経済的要求の前には、「短期的には農作物の収穫が減ることもあるにはせよ、結局は長期にわたって作物栽培が可能になり、収入が得られるようになる」という理屈は、いまひとつ説得力を持ち得なかったのかもしれません。
もちろん、アグロフォレストリーを導入すると、すべて生産量の減少につながるというわけではないことも付記しておかねばなりません。
たとえばトウモロコシの間にマメ科の樹木を植えると、根粒菌が土壌に窒素を固定しますから、トウモロコシの生産量も増え、結果として土壌も良くなります。私がコスタリカで実験した例では、キャッサバという根菜の間にマメ科の樹木を植えてやると、キャッサバの生産量も増えた、というデータもあります。またラテンメリカでは、コーヒーが日陰を好む性質を活かし、庇陰樹としてマメ科の高木を組み合わせる手法は常識となっています。
ともあれ、1978年、アグロフォレストリーの研究の総本山とも言うべきICRAF(国際アグロフォレストリー研究センター)(※)がケニアの首都ナイロビに設立されてから、ようやく各国でもアグロフォレストリーの重要性が見直され、同時に途上国への国際協力(援助)のムーブメントとともあいまって、熱帯地域におけるアグロフォレストリーは再浮上し、現在に至ります。
※「International Council for Research in Agroforestory」の略。

■5.ニーズの数だけアグロフォレストリーがある。
「『アグロフォレストリー』とは、アグロフォレストリーという言葉を使った人と同じほどの定義の仕方がある。」(※)
まさしくその通りで、地域の社会条件、自然条件――土壌条件や気象条件、そして住民たちが何を求めているかによって、植える作物も樹種も、その組み合わせ方もさまざまです。木材やパルプ材を採取するのか、農作物を直射日光から守る庇陰樹とするのか、薪炭材とするのか、あるいは果実を採取するのか・・・・目的によって植える樹種も多彩ですし、農作物にしても、香辛料、嗜好料、薬草、繊維・・・・とまちまちです。
そしてその柔軟性、多様性こそが、アグロフォレストリーのおもしろさでもあり、また難しさでもあるのですが・・・・。
たとえば私は去年の夏まで足掛け3年、ラオスでアグロフォレストリーが関係するプロジェクトを手がけました。当地では、山を焼いた後に米を作り、その米で生活するという焼畑農民が圧倒的に多いのですが、非常に貧困だという内政事情もあり、肥料も満足にやれないな場合が多い。当然、1、2年目もたつと地力も衰えて米の生産量ががくんと下がっていたのです。そこで、米の生産量は少し減るかもしれないけれど、同時に樹木も植えて、地力を保とうじゃないか、と。そうすれば結局長い間収穫ができるよ、そういう指導をしました。
今まで述べてきたような林業と農業の組み合わせの他に、アグロフォレストリーには、林業と畜産業の組み合わせもあります。「シルボ・パストラル(Silvo-pastral)」と呼ばれ、ラテンアメリカなどでよく見られる手法です。
ラテンアメリカでは、樹木を全部伐採して牧場にし、数キロメートルにも及ぶ柵をその周囲に作るのですが、それだと、柵が腐ってきたとき柵様の杭を集めるのが大変なのです。それならば、はじめから萌芽性の盛んなマメ科の樹木を植えつけ生垣柵としておけば、枝葉は牛のえさになるし、幹は杭の代わりになる、というわけです。もちろん、家畜の排泄物は樹木が育つ肥料として役立ち、それもやがては土壌に還元される、さらに、こんもりと茂った樹木は、家畜立ちに格好の日陰を提供してくれる・・・・。
シルボ・パストラルで私が手がけたケースでは,日本でもジュースなどでおなじみの”グワバ”という木、これを牧場に導入して、牛の日陰樹とするとともに、収穫期のときだけ縄を張って牛が入れないようにして実を取る。そういうことも指導しました。
日本でも、古くは東北地方で、クヌギやナラを植えた下で軍馬を飼う「混木林」がありましたが、これもまさしくシルボ・パストラルと言えましょう。
林業と漁業の複合もあります。「アクア(Aqua)フォレストリー」とばれるもので典型的なところで、マングローブ林の下でエビの養殖を行う、といったものがありますし、皆さんご存知の「魚付き林」や、土手に柳や桜を植える「河岸林」、これらはすべて木が庇陰樹となってそこに魚が集まることを利用して漁業を行うという、アグロフォレストリーの一種です。
※ICRAFのKing,K.F.Sの言葉。

■6.住民の住民による住民のためのアグロフォレストリー。そのためのシステムづくりを。
アグロフォレストリーで大事なのは、そこに住まう人が何がやりたいかを見極めることだと私は思います。
たとえば、ラワンやチークを植えれば将来は家具材として売れるけれども、収入が入ってくるまで50年や60年は優にかかる。そんなに待てない、ということであればパパイヤやマンゴーなど短期間で換金できる果樹を植えればいい。木材を売るよりは、薪が欲しいのであれば薪炭材になる樹木を植えればいい。その地域にすむ人がその土地から何を得たいか、もう少し率直に言えばすぐにお金がほしいのか、少々待っても将来お金がほしいかなども含めて、まず住民のニーズがあって、そこに自然条件などが加味されていくべきだと考えます。
そしてそのとき必要とされるのが、林業の人と農業の人が手を組むべきだ、ということ。これを私は声を大にして言いたいと思います。
日本は残念ながら行政も学問もすべてが縦割りで、その弊害が大きいような気がします。それと、新しい取り組みへの意欲。たとえば、コスタリカでアグロフォレストリーの研修をやったことがあるのですが、農業の人が非常に積極的なんです。新しいことをやろうという意識が非常に強い。これは我々林業人は多いに学ぶべき姿勢だと思います。
林業、農業、畜産、漁業、経済学、さまざまな分野の人が住民を一体となってこそ、その地、その人、その社会に一番適したシステムが構築できると思うのです。
そしてもう一つ、アグロフォレストリーは、人里離れた奥地ではなく、人の暮らしの一部でこそ行われるべきものであると思っています。かつての日本の里山のような、人と自然とがいっしょに住めるような環境づくり。私はそれを「共生林」と呼んで、ラオスのアグロフォレストリーの国家プロジェクトでも積極的に「共生林」をつくる指導をしています。

■7.さまざまな枠を取り払うことから、次代のアグロフォレストリーは生まれる。
アフリカでアグロフォレストリーの研修をしたことがありますが、ごくふつうの農家のおばさんが非常に熱心に勉強をしに通って来る。子育てなどで忙しいとき、遠くの奥山へ薪を取りに行くよりは、住まいの裏山に薪になる木があってそこから採ることができればとても便利・・・・。そんな、生活に根ざした理由からアグロフォレストリーを学びにくるんです。彼女たちが求めているのがまさに、先程述べた「共生林」ではないでしょうか。
生活の一部としての、緑。生活の一部としての、アグロフォレストリー・・・・。上から押し付けるトップダウン型ではなく、住民の中から湧き上がる要求をすくい上げ、近代科学の光を当てて新しいシステムを構築していくボトムアップ式のやり方。それこそがアグロフォレストリーのあるべき姿だと私は思います。
これからも地球上にはどんどん人口が増えていくでしょう。でも、農作物が作れる場所は限られています。どれだけ頑張っても砂漠の真ん中に作物は作れません。当然、何らかの工夫が必要です。
求められるのは、土地という有限の資源の持続可能性を高める工夫。『アグロフォレストリー』は、その工夫の最先端であり、同時に昔から人々が営々と紡いできた伝統的技術でもあります。そうした伝統と科学、市民と研究者、そしてもちろん、林業と農業(畜産業)・・・・さまざまな融合――共生の上に次代のアグロフォレストリーを組み立てていく柔軟な発想こそが、人と自然が共生する豊かな21世紀につながると思います。


[内村悦三]
1932年生まれ。京都大学農学部林学科卒業。農学博士。熊本県林業研究指導所、林業試験場(現・農林水産省森林総合研究所)科長、フィリピン国立林産研究所・客員研究員、同国立林業試験場・研究顧問、熱帯農業研究教育センター(コスタリカ)研究教授等を経て、大阪市立大学理学部教授、同付属植物園長。現在、社団法人日本林業技術協会・技術指導役、竹資源活用フォーラム代表、全日本竹産業連合会会長。
著書に、『熱帯のアグロフォレストリー』(国際緑化推進センター)、『熱帯林のすがた』(研成社)、『「竹」への招待』(研成社)、共書に、『竹と建築』(INAXギャラリー)、『東南アジアの植物と農林学』(学術出版)など多数。