■第11号(1994.10発行) シリーズ建築家B

−木を育て、木と歩む−
数寄屋の心

(建築家・(株)早川正夫建築設計事務所 早川正夫)


1.千利休の数寄屋理念標
2.公共建築の木構造



近年、日本の木造建築は「二極分化されつつある」といわれています。燃える、均質でないといった木の特性をできるだけ排除し、工業製品である鉄と同様に扱い、木造であることを放棄する方向と、自然素材としての木を最大限に強調し、木造であることを主張する方向です。前者は2×4工法に代表され、後者の代表はログハウスですが、木造であることの「価値」をどこに見出すのかが、今、問われているのではないでしょうか。今回シリーズにご登場いただいた早川正夫さんは、古典としての数寄屋研究、および現代的な数寄屋建築の大家として著名な方ですが、近年、大架構木造建築において、柱に構架材を四方から差して固める伝統的な「四方差し」の工法に、今日的な解釈を加え簡略化し、その形態から「カンザシ工法」と名付けて、木造建築の今後の方向性と可能性を示唆されています。先に掲げた二極分化の狭間で、日本の木造建築の目指すべき方向を、早川氏の言葉の中に探ってみたいと思います。

社会主義体制の崩壊、バブル経済の終結と、さまざまな急展開を見ながら、私たちは今、20世紀という近代文明の時代から、新しい時代21世紀を迎えようとしています。木と建築の世界にも新しい時代の波が近づいてきています。こうした時私たちに、重要な指針を与えてくれるのが歴史と古典です。近代百年の間に見失ってしまった輝かしい日本建築の伝統をじっくりと見つめ直すことで、木と建築の新しく明るい展望が生まれてくると私は信じています。この10年ほど、私は木造建築に二つの課題を設定して、古典と現代を接合することの実践に努めてきました。一つは現代数寄屋における古典技法の再生、もう一つは大型架構における伝統技術の再評価です。その趣旨を略述して諸賢のご参考に供し、ともに木の新時代を考えるよすがにと思います。

■1.千利休の数寄屋理念
20世紀において日本の伝統的木造建築は、近代洋風建築の盛威に押され通しでしたが、その中にあって数寄屋建築だけは、独自の発展をしてきたといえるでしょう。意匠的にも技術的にも、近世、江戸時代のものを越える高い水準の作品が多数作られました。その事実は高く評価されて良いでしょう。
しかし、現在の数寄屋建築は大きな行きづまりと転回点にきています。今こそ私たちは千利休以来、先人達が目指した数寄屋の理念を考えるべき時だと思います。
20世紀数寄屋の特色を一言でいえば「銘木数寄屋」という言葉がピッタリでしょう。全国の良材、美材、稀少材を選りすぐって建てられた現代数寄屋は、繊細極まる加工技術と相まって、みごとな工芸的建物を造り上げました。しかしその時代は終わりました日本人の本物志向を満足させる良材、美材が山から消えたのです。
しかし利休が創案した草庵の茶室は、そもそも美材珍材に無縁のものでした。ほとんどありあわせの材と工夫で、驚くべき斬新な建築美を創出したのです。例えば妙喜庵(京都府)の茶室「待庵」を見て下さい。柱も床框(とこがまち)も落掛(おとしがけ)も節だらけの、現在では三等材と呼ばれるものばかりです。
利休の数寄屋理念は、宮廷貴族の建築にも深く採り入れられ、あの名建築「桂離宮」を生みました。貴族の別荘だけあって、さすがに良材も美材も用いられていますが、節の多い柱や長押(なげし)も平気で座敷に使われているのに驚かされます。
銘木数寄屋は、素材の美しさを強調して素木(しらき)で建てられます。このことが「日本建築は素木造」という大きな誤解を生んできました。利休の茶室はもとより、桂離宮の御殿でさえ、新築当初から、すべての木部に黒々とした色付け仕上げが施されていたのです。煤(すす)や柿渋、植物油、うるしなどの材料で木目の美しさを強調し、壁面や畳などに濃い暗褐色の線のアクセントをつけ、日本的建築美を作り出したのです。その色付塗装の伝統が近代の日本から消えてしまったのです。

■2.公共建築の木構造
近年ようやく、木構造建築再認識の気運があらわれ、各地に木造の公共建築物が建つようになってきました。しかし、昭和時代半世紀以上に及ぶ木造空白期の後に、伝統の影は薄れ、鉄骨構造を木の部材に置き換えたような作例ばかりが目立つようです。私としては、ボルト接合や鉄筋筋違に頼る構造には、いまひとつ納得しかねます。
近世までの日本には、現代的意味での公共建築物は種類が乏しく、今日に応用の効く古典建築がすぐに思い当たるわけではありませんが、大きな空間を建築する木造技法には、多くの見習うべきものが伝え残されています。
かって、公共的建築の重要な部分を担っていた寺院建築にはずいぶんと学ぶべき点がありますし、地域的公共性をもっていた豪農の民家にも目を向けるべきではないでしょうか。それらの大空間を構成した木造架構法は、実に巧みに木材の特性を生かしたもおでした。金物も筋違もなしで大屋根を支えた先人の知恵に改めて注目すべきだと思います。
現在私たちに、当時のような大径木の良材入手は困難ですが、それにかわって大断面集成材の生産が活発になっています。その有効利用が、これからの大型木造建築を発展させるでしょうが、そこには古典の再認識が不可欠だと思います。
そうした試案として私は「カンザシ工法」の名の連作を発表してきましたが、多くはこれからの課題として残されています。


[早川正夫]
1925年茨城県に生まれる。1948年、東京大学建築学科卒。板倉準三建築研究所、明治大学堀口捨巳研究室を経て、1963年、(株)早川正夫建築設計事務所設立。明治大学、東京大学、福井大学等で非常勤講師を歴任。日本建築セミナー、木造建築研究フォラム等の設立発起人。理事として木造建築の復権に努める。1989年、日本建築学会賞受賞。