■第4号(1990.秋発行) 特集:森は潤してくれる。

森は大地を潤してくれる



1.森林土壌の隙間が貯水タンク。
2.健全な森林が健全な土壌と水をつくる。
3.森が天下の名水を育む。
4.水は山の幸、そして人の幸。



「水を見て木を見ず。」水について考えをめぐらすとき、こんな言葉が自戒をこめて頭に浮かんできます。 蛇口をひねれば水が出て当然、川には水が流れていて当然・・・。現代社会に生きるわたしたちは、「水」という自然の産物が、あたかも、ショーケースに並んだモノのように、お金さえ払えば手に入るように錯覚してしまってはないでしょうか。結論から言えば「水」の故郷は「木―森」です。(古くから、「治水」は「治山」と言われてきたことからも、それはおわかりいただけることと思います。)山に木があるから、降る雨は地中に浸みこんで地下水となり、ゆっくり時間をかけて地表に湧き出てくる。(地下水の流れは大変遅く、雨が地下に浸透してから再び地表に湧き出るまでには数百年かかるとも言われます。山の大いなる涵養性が感じられますね。)逆に、もし山に木がなかったら、雨はすぐさま地表をすべり落ち、水は大地に蓄えられることなく海へ流されてしまう。森が緑色の貯水池、といわれる所以です。

■1.森林土壌の隙間が貯水タンク。
水をつくり、水を治める、森林。その中心舞台は、足もとの土壌にありました。
森林は踏み入ると、何だか足もとがスポンジのようにやわらかく、時にはぬれてしまうこともありますよね。これが、森林と水との、切っても切れない仲の証です。もう少しくわしくご説明しましょう。
土には大小さまざまの隙間があります。土の粒子と粒子が集まって土壌の魂ができるわけですが、たとえば、公園や運動場など宅地付近の土壌では、粒子と粒子の隙間は50%ぐらい。いわゆる「土壌が緻密」な状態です。これに比して下草や落葉に覆われた森林の土壌は、目に見えない小さな隙間、指が入るような大きな隙間、合わせて60%〜80%もの隙間を持っています。森の土壌がマシュマロのようにやわらかいのはこの隙間のおかげ。そしてここが水を蓄えるタンクになるというわけです。

■2.健全な森林が健全な土壌と水をつくる。
森林土壌にはなぜこのように隙間が多いのでしょうか―。
森林土壌は、落ち葉や落ちた枝などが分解されてできた、「腐植」と言われる有機物の層を大量に持っています。この層を中心に、大小さまざまの隙間を持つ「団粒構造」というのが発達しているのです。また、森林土壌では木の根っこが土の奥深くまで発達しているので根と土壌の間に隙間ができる、またそこに消息するミミズ・ヤスデなどの多数の小動物の通り道が土の中を縦横に走っている・・・。これら多量の隙間が水保全の役割を果たしているというわけです。さらに、森林の土壌は落ち葉などで覆われているため、雨などで土壌が浸食されることもなく、従って土壌の中の穴は目づまりする心配もないのです。
これにひきかえ、宅地付近の土は固く密に詰まっていて、水を取り入れる隙間が少ない。だから雨が降ると土中には浸みこまず、いっきょに河川へ流れ出し、洪水になってしまう可能性が大なのです。
強じんな根が深くしまも網のように張りめぐり、さまざまな動物が住み、土の粒子と粒子が隙間はあるけれど仲良く手をつないでいる・・・。こんな「健全な土壌」があってこそ水は蓄えられる。そして、そのような健康体の土壌は、木なしにはあり得ないのです。ちなみに森林の土が水を浸透させる能力は、草地の土の1.3倍、荒れ地の2倍、硬くなってしまった土の歩道の20倍にも及ぶと言われます。

■3.森が天下の名水を育む。
良い森林の良い土壌は汚れをろ過し、ミネラルを添加して美味しい水をつくります。森林は水の量だけではなく質をも保全するというわけです。
いい水のあるところ、いい森がある。環境庁の「名水百選」にも選ばれた、全国の名水と名森(?)、ちょっといくつか訪ねてみましょうか?
まずは、1日に3万トンもの水が杉の根元からものすごい勢いで湧き出ている、という、群馬県東村の「箱島湧水」。木々に囲まれた箱島不動尊の中、そびえたつ巨大な杉の御神木の根本から水が壮烈にほとばしっているのです。また、湧き水の流れに沿って、毎年6〜7月、ホタルがまばゆいばかりに飛びかうのも魅力です。
お次は、越後の国、新潟県栃尾市の「杜々の森湧水」。樹齢数百年を越える巨木が原生し、50種をこえる野鳥が消息する静寂の森。その中、杉の巨木の根元から絶え間なく水が湧き出る。悠久の時の流れとともに森が天下の名水を育んできたのです。その昔、森は女人禁制の霊地とされ、男子と言えども森で木を伐採したり、いたずらをしたりすると、馬頭人身の神の呪術で死に追いやられたと言います。古くから水源涵養保安林(洪水、渇水を緩和し、用水を確保する)、干害防備保安林(貯水地の水枯れを防止する)として保護されてきた杜々の森ですが、そこに住む人々はそのはるか昔から、水と森のつながりを肌で感じとっっていたに違いありません。
また、中央アルプスと南アルプスのはざま、信州飯田市の北西に高くそびえる風越山山麓に湧き出る名水「猿庫(さるくら)の泉」。江戸時代、茶道の大家竜渓宗匠が茶に適した水を求めて諸国を遍歴中、天竜川下流の水のおいしさに心を奪われ、その源を尋ね川を遡ること10里(約40km)、ついにこの地にこの泉を探し当てた、という話はいまも語り継がれています。そしていまも休日には、茶の湯に最適、として水を汲みにくる人々で賑わいを見せています。 いずれもいい森があってのいい水。このことを私たちはいま一度心にとめるべきでしょう。

■4.水は山の幸、そして人の幸。
「湯水を使うごとく」の言葉でわかるように、日本人は昔から水の大切さを理解してこなかった。よく言われることです。一見もっともらしいこの意見、けれど本当にそう言いきれるでしょうか。
日本各地には、山の中腹に「水分(みくまり)神社」があります。川が山から流れ出て2つに分かれる場所に祀ってあり、人々は川を丁寧に手入れしていたのです。また、水の乏しい地方でも豊かなところでも水神さまが祀られている。水の大切さを日本人は十分に知っていたと思われるのです。
とするといまわたしたちが水を大切にしなくなったのは、ひとつには家の裏から「井戸」が消えたことと関係があるのかもしれない。コックをひねれば水もお湯もふんだんに出る、そんな生活になってからのことではないか、とも思われるのです。
水の故郷は森です。そういう意味では水は確かに「山の幸―自然の幸」です。けれども森林とて、放置していては荒れる一方です。森林を守り育てる担い手たちがいて、はじめて森林はその重要な機能である「水源涵養機能」を果たし、そしてわたしたちは水に恵まれ、水の害から守られるのです。そういう意味では、水は「人の幸」である、と言えるかもしれません。
水と森と土と、そして人と。この関係がうまくいくときはじめて地球は潤い、人の心は満たされるのでしょう。水を見て木を思い、木を見て水を思うようになりたいものです。