■第2号(1989.秋発行) 特集:森を守る

森林の生命が自力で守られるために



1.地球に出現した裸子植物。
2.「生きている化石」
3.裸子植物はいま?
4.親木の上で息づくトウヒ



ユートピアのごとく語られる森も、実は人間社会と同じく強者と弱者がせめぎ合いバランスを保っている、過酷な競争社会である。かつて隆盛を誇った裸子植物―針葉樹―が、被子植物―広葉樹や多くの草花―の登場でどんどんすみかを奪われ、衰退を余儀なくされていったのも、その一例だ。栄養分も少なく痩せた土地に次第に追われていった彼らは、捨て身(?)のサバイバル術を生み出す。親(=老木)が自ら地に倒れ(=倒木)、その体の養分で子(=苗)が育つ(=更新)――いわゆる「倒木更新」である。偉大なる森はだれの助けもかりず、独力で自らの生命を守り、次代に伝えるメカニズムを有していたのだ。

■1.地球に出現した裸子植物。
人類がこの地球に現れてから百万年、地球の歴史から考えますと、ほんのわずかな時間です。地球の歴史を一年の歳月に例えますと、人類が出現したのはカレンダーのさいごの一日にあたる12月31日なのです。さいごに現れた人類が地球上の先輩たちにもっとも恐れられる生物になりました。もうすこし昔を振り返ってみることにしましょう。
その人類よりずっと前に、この地球に現れて、いま人類に有用とされる種類も、積極的に役に立たない種類も、すべての樹木・草本がそれ相応に生きてきました。もちろん、環境の変化に耐えられず途中で絶滅したものがあるかと思えば、進化して生きながらえているものもあります。
「針葉樹」、もう少し大きい括りでいいますと、「裸子植物」ということになりますが、この雌花のなかの卵子がむきだしのままのグループは、かの恐竜が繁栄した三億年前から一億三千万年前ぐらいまでの中生代に、すでに地球の一員として陸上で華やかに生活しておりました。その後、この裸子植物に対して、卵子が子房で包まれて保護された植物群である被子植物が現れるようになって、裸子植物はしだいに勢力が衰え、現在、わずかばかりの種類が生存し、多くの裸子植物が滅亡して化石でのみその存在がわかっているものがたくさんあります。

■2.「生きている化石」
メタセコイヤという植物の名前をお聞きになったことがあると思います。和名をアケボノスギといいますが、わが国では化石としてのみ発見されていました。この化石の葉や枝などの諸器官が対生していることに注目して、セコイヤに対してメタセコイヤと、新しく名づけられたのが昭和十六年のことで、名づけ親は後に大阪市立大学教授になられた故三木茂先生です。
ところがその直後、中国の四川省の奥地で水松に似た生きている樹木が発見されました。それは北京の胡教授のもとに送られ、すでに日本で名づけられたメタセコイヤ属のものであることがわかって、中国の地質学雑誌に発表されました。この論文によって、「生きている化石、メタセコイヤ」が世界にしれわたったのです。
アメリカの学者も現地へ飛んで確認し、種子を持ち帰りました。その種子から育てた苗木のうちの一本が、日本に届けられたのが戦後まもない昭和二十四年のことで、昭和天皇に献上され、皇居に植栽されました。生きているメタセコイヤの日本における第一号です。
しかし、こういう例はきわめて稀なことです。化石が出るのは良い方で、化石化さえもせずに滅亡した種類(シダ類をふくめて)がたくさんありました。メタセコイヤの場合でも、これは不思議な木であると、解明の手続きをとったからよかったようなものの、この木に関心がなければ永遠に生きている化石とはなれなかったのではないかと思います。

■3.裸子植物はいま?
さて、日本の里山の風景であったアカマツは、マツノザイセンチュウにやられて姿を消しつつありますが、代わって、各地に開設されている高速道路や林道の切り取り法面などに芽生えて、アカマツの幼樹が青々と茂っているのを見かけるようになりました。切り取り法面ですから、土は全く痩せており、マツの成長を阻害する病原菌もいそうにないところです。
被子植物のほとんどはヤシャブシ(別名、ハゲシバリ)のように窒素を空中から固定できる共生菌をもたない限り、痩せた土地では十分に生育できないので、そういうところは嫌ってもっと良い環境をもとめます(マツも共生菌をもっています)。裸子植物が繁栄していた時代には、いま被子植物が育成していたはずです。被子植物が出現してからはそういった良い環境を菱植物に譲って、裸子植物たちは、被子植物もはいらないような崖の上や、尾根筋などの痩せた土地や、生育期間が短い亜高山帯などをみつけ、そういった環境に適応する術を身につけて、ほそぼそと生活しているのです。
こんな世界にも強いものと弱いものの差がはっきりと現れ、弱いものはより我慢を強いられるのです。そうして、我慢の術を身につけられない種類はいつか滅亡しなければなりません。メタセコイヤも日本各地では逃げ場をもとめることができないまま滅亡し、広大な中国のなかでもたった一か所に、わずかですが生存していたのです。

■4.親木の上で息づくトウヒ
亜高山帯や亜寒帯には裸子植物である針葉樹が針葉樹林をつくって分布しています。近畿地方に亜高山帯をみることができるのは紀伊半島の大峰山脈の一部と大台ケ原山だけで、吉野熊野国立公園の景観の重要なポイントでもあります。大峰山脈の最高峰である八剣山の頂上付近にはシラベ林が、そこより低いところや谷一つ隔てた大台ケ原山にはトウヒ林が発達しています。
シラベはモミのなかまで、トウヒは北海道のエゾマツのなかまですが、シラベとモミの関係よりも近縁の関係にあります。このトウヒの一生、とくに種子から芽生えて、幼樹に育つまでには、「倒木更新」という、人の一生でいうと、通過儀礼にあたるようなしきたりを経なければなりません。それは倒れた親木が腐りはじめて、表面をコケ類がすっぽりとおおいはじめるころに、運よく落下したトウヒの種子が物語を展開させるのです。翌春に芽生えたトウヒは湿度と適度な腐植に恵まれて育ち、やがて倒木は朽ちはてて、トウヒは地中に根をはり、適度な光量を受けるとぐんぐん成長をはじめるようになります。
倒木更新はトウヒをはじめ針葉樹のお家芸で、広葉樹にはみられないといってもよいほどです。大台ケ原山ではトウヒにウラジロモミを交えていますが、ウラジロモミは倒木更新にたよらなくても幼樹ができますので、更新の事情は種類によって違うようです。トウヒは発芽してのちの成長も遅いようですから、地表面より一段と高い倒木上での更新が有利に展開するのではないでしょうか。種子や苗の時代に菌類に犯されることも少ないと思います。もっとも、倒木更新は必須条件ではなく、新しい土の上に芽生えている例もあります。
このトウヒの種子にはなり年と不作の年があります。その間隔はよくわかりませんが、三年目か四年目ぐらいになり年があたるようです。そうしたなり年の種子の発芽率は、不作年の三、四倍になります。なり年といっても50パーセントを上まわらないので、いかに「しいな」が多いかがおわかりでしょう。このひとことでも「種」としての勢力がぐっと弱まっていることがわかります。
大台ケ原山上のトウヒ林は、わが国のトウヒ林の分布の南限にあたり、面積も広く、かつては林床にコケを敷きつめて、自力で更新できる態勢にありました。しかし、近年の台風害、ドライブウェイ開通がもたらした観光客の増加、周辺の伐採による独立化、鹿の増加などが、この弱いトウヒ林に過大な圧力をかけて、風前の灯の状況に追い込んでいるのは残念なことです。どんな森林であっても、自然の中で森が自力で維持できるように見守ることが、人類の幸せのためにも大切なことであると思います。